東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2024/03/10

第一ヨハネ5章1~5節「世に勝利する神の命令」

*** 3/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

 皆さんは「命令」と聞くと、どのような印象を受けるでしょうか。あまり好きな人はいないのではないでしょうか。特に現代の日本社会ではそうでしょう。かく言う私も命令をするのも、されるのも得意ではありません。しかし、命令ということばを使わなかったとしても、命令は私たちの日常に必要なものです

2024/03/07

ローマ書4章18-25節「望みえない時こその信仰」

*** 3/6(水)祈祷会 説教概略 ***

 「きっと大丈夫だろう」とか、「そこそこの確率でこうなるだろう」と思えるものを信じるのに、あまり信仰はいらないかも知れません。それは「確率論」と言った方がいいでしょう。でも、信仰は、確率がどうであろうと関係ありません。たとえ、人の目には0%だと思えるような時でさえ、神様が「そうする」と言われたものはそうなるからです。
 アブラハムの信仰は、望みえない時こその信仰でした。パウロは、その信仰について説き明かしています。


2024/03/04

伝道者の書7章7-12節「神の知恵によって歩もう」

*** 3/3(日)主日礼拝 説教概略 ***

 シェクスピアの作品「お気に召すまま」という作中に、こんなことばがあります。「愚か者は、自分は賢いと考えるが、賢者は自分が愚かであることを知っている。」。自分は賢いと考える人は、むしろ愚か者であると言うものです。ですから、自分は愚かで教えていただく必要があると考え、人からも神様からも絶えず教えられる「賢い者」でありたいと願います。特に、聖書の言う賢い人は、世界を造られた神様から絶えず教えられている人です。


2024/03/01

ローマ書4章13-17節「信じること(信仰)の勧め」

*** 2/28(水)祈祷会 説教概略 ***

 若い頃、私は聖書の内容を分かりやすく伝えさえすれば、使命を果たしていると思っていた節があります。しかし、聖書の物語や戒め、教えをどれだけ伝えても、神様を信じましょう!イエス様を心にお迎えしましょう!と勧めなければ、十分に福音を伝えたとは言えないと、改めて示された時がありました。信じることを積極的に勧めることは、勇気がいることで躊躇しがちです。しかし、背中を押してくれる存在が、実はとても大切なのです。「信じることを勧める」ということ。みことばから教えられましょう。


2024/02/28

毎日の聖書【3月分】


1日 創世記33章
 兄エサウの恨みを買っていたヤコブは長い時を経て、ようやくエサウと再会を果たす。この二人の再会の場面を見る時に、神の恵みを強く感じるむしろ、神の恵みなしにはこの再会と和解は、あり得なかっただろう。3節を読むとヤコブの変化が見て取れる。恐れを抱いて、自分だけ後に残って祈っていた彼が、今は「自分が先に立って」歩み始めた(3)。そこに主が先んじておられるという信仰が育ったからだろう。 さらに、3節によれば、彼は7回も地にひれ伏して、エサウに挨拶をしている。この姿勢は、彼に対する心からの謝罪を示す姿勢だろう。しかし、これまでの経緯を考えると、兄エサウが優しく受け入れてくれるとは考えにくい。けれども、4節にこうある。
エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけをし、二人は泣いた。
 神がすべてを整えておられた。その背景に、1節にあるようにエサウには、400人もの家族や親族などがいた。彼は長男の祝福こそ逃したが、神のおかげで大成功を治めていたのだ。これがあるからこそ、ヤコブの家族を見ても嫉妬せず、怒りを燃やさずに済んだのではないだろうか。すべては神のみわざだ。主が万事を備えておられたのだ。

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *