1日 創世記33章
兄エサウの恨みを買っていたヤコブは長い時を経て、ようやくエサウと再会を果たす。この二人の再会の場面を見る時に、神の恵みを強く感じる。むしろ、神の恵みなしにはこの再会と和解は、あり得なかっただろう。3節を読むとヤコブの変化が見て取れる。恐れを抱いて、自分だけ後に残って祈っていた彼が、今は「自分が先に立って」歩み始めた(3)。そこに主が先んじておられるという信仰が育ったからだろう。 さらに、3節によれば、彼は7回も地にひれ伏して、エサウに挨拶をしている。この姿勢は、彼に対する心からの謝罪を示す姿勢だろう。しかし、これまでの経緯を考えると、兄エサウが優しく受け入れてくれるとは考えにくい。けれども、4節にこうある。
エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけをし、二人は泣いた。
神がすべてを整えておられた。その背景に、1節にあるようにエサウには、400人もの家族や親族などがいた。彼は長男の祝福こそ逃したが、神のおかげで大成功を治めていたのだ。これがあるからこそ、ヤコブの家族を見ても嫉妬せず、怒りを燃やさずに済んだのではないだろうか。すべては神のみわざだ。主が万事を備えておられたのだ。