*** 8/4(日)主日礼拝 説教概略 ***
何事においても、支援する者、支える者というのは目立たない奉仕であるために、少し低く見られがちです。しかし、実際にはそうした方々の存在なしには、良い働きは生まれ得ないのです。全員がフルタイムの献身者になれば、支える人がいないのです。少なくとも一人の献身者のために数十人の支える人が必要でしょう。
本日は、ヨハネの手紙第三を開いています。この手紙は、長老ヨハネからガイオという人物にあてた手紙です。特にガイオという人は、5節以降にあるように、よそから来たクリスチャンたちをもてなし、彼らを支援し送り出すという働きをしていた人物です。
宣教師として外に出ていく人もいますが、ガイオのように彼らを迎えて世話をし、支える人も大切です。そうやってサポートしてくださる方のおかげで、働き人は安心して、励まされながら働きができるのです。ですから、サポートする者たちもまた、8節のみことばとタイトルにありますように、真理のための同労者なのです。
ヨハネがこの働きをしていたガイオを名指しでほめ、ねぎらっているように、私たちもまた、働き人らを支える奉仕が大変尊いものであることを、ご一緒に教えられて参りましょう。
1節 長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。
いつものように、長老ヨハネは手紙の冒頭で愛の挨拶をしています。とても真摯な深い愛を感じる言いまわしで、ガイオに愛を伝えています。こうしてヨハネが書いた手紙を、第一、第二、第三と味わう時、ヨハネが兄弟姉妹たちをひたすら愛して、そのための労を惜しまなかった姿勢が見えてきます。彼の書いたものに「愛」が出て来ないものはありません。やはり、人を動かすのは愛です。またガイオのための祈りが明かされています。2節です。
2節 愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。
心やたましいが幸いなだけでなく、あらゆる部分で幸いであるようにとヨハネは祈っていたのです。このように祈られている人はなんと幸いでしょうか。
そして最後には、改めて「健康であるように」とも書かれています。実は、他の手紙であまり出て来ない表現なのです。その意味では、ガイオについては特に健康面で課題があったのかも知れません。
もしかしたら・・・ですが、健康の問題があって、ガイオ自身は伝道者として遠くに出て行くということができず、もっぱら「伝道者をもてなす者」として仕えていたのかも知れませんね。私たちもまた、健康上の理由などで、思うように奉仕ができない、動けないということはありますよね。でも、だからと言って良い働きができないなどと思う必要は一切ありません。主は、そのような人にも、真理のための同労者として良い働きを期待しておられるのです。ここでも、ヨハネはガイオの働きをとても喜び、心から応援していることがわかります。
3-4節で、ガイオについて、いろいろな兄弟たちが報告してくれているのだとあります。
3節 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。
4節 私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。
ガイオと直接会う機会はあまりなかったのでしょう。しかし、彼の奉仕ぶりは、多くの兄弟たちから伝え聞いていたのです。良い働きというのは、自分で宣伝しなくとも、周囲の人が伝えてくれるものなのかも知れません。彼らによれば、ガイオは、本当に主の真理のうちに歩んでいるとのことでした。
そして、4節にあるように、ヨハネにとって、このガイオという人物は自分の子どものような存在でした。ヨハネは直接会えなくても、その姿を耳にし、主にあってとても喜んでいたのです。私もこれまで関わってきた人たちが、主に忠実に仕えているという知らせを知ると、本当に嬉しくなり、励まされるのです。
そしてヨハネは、これからもガイオがこの働きを継続できるよう励ましています。
5節 愛する者よ。あなたは、兄弟たちのための、それもよそから来た人たちのための働きを忠実に行っています。
6節 彼らは教会の集まりで、あなたの愛について証ししました。あなたが彼らを、神にふさわしい仕方で送り出してくれるなら、それは立派な行いです。
当時、福音を伝えるために旅する伝道者クリスチャンがいました。ただ、現代のように車とか電車など便利なものはありません。物も十分に持ってない人もいました。ですから、身ひとつで宣教の旅に出る者も少なくありませんでした。また、普通の宿屋も数が多くなかったでしょうし、宿屋を泊まり歩けるような裕福な伝道者はごくわずかだったでしょう。ですから、こうして、もてなして、宿泊させてあげられるガイオのような存在は非常に重要でした。
しかも、彼のもてなしの対象は知人に限りません。「よそから来た人たちのため」とあります。初めて会うような知らない宣教者でさえ、彼はもてなし、色々助け送り出したのでしょう。それは、知り合いのよしみだからではなく、まさに「真理のために」労しているガイオの姿です。ヨハネはそれを知って喜び、神のみこころにかなった立派な行いであるとほめているのです。
特に7節を見るとわかりますが、この旅人たちは、主の御名を伝えるために、伝えた先の異邦人からは、一切お金も物も受け取らなかったのです。福音を伝えた「見返り」とならないように。つまずきが起こらないように。そして、主への信頼ゆえにです。いずれにせよ、そのような宣教者を支えるのは、同じ真理に堅く立つクリスチャンたちです。私たちは自分で直接できなくても、ガイオのように背後で支援することができ、それをヨハネは「同労者」と呼んでいます。
8節をご覧ください。
8節 私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。
「同労者」は「同業者」とは大きく違います。同業者の場合、同じ業種でありますが、お互いに競争相手、ライバルになります。Aという焼肉屋とBという焼肉屋、それぞれは同業者であり、競争相手なので同労者とは言えません。同労者とは、同じ団体に属し、同じ利益のためにともに労する仲間です。
ですから、宣教師とそれを支援する者たちは、大きな意味で一つのキリストの福音に仕える仲間、同労者です。当時、何もかもを後にして、主のために宣教地に向かう者たちがいました。そのような働き手のために、各地のクリスチャンたちが快く迎え、もてなし、何かと助けたので福音が広がったのです。ガイオは自分が出て行く側ではなく、もてなし支援する側として忠実に協力した人なのです。ヨハネはその奉仕を決して軽んじなかったのです。
自分が働きに出られないとしても、働きをしている者のために祈り、献げる。
それはとても尊い主が喜ばれる奉仕です。
そして、それが神の家族、福音の同労者の姿です。
「宣教はあの人たちに任せておこう」ではありません。その人々を支援することで、一緒に宣教の参与させていただくのです。
私たち夫婦も、様々な宣教師、牧師のために祈り、献げる恵みにあずかってきました。本当に尊い恵みです。自分の置かれている場所だけ終わらない恵みです。様々な地の、様々な働きを支援することで、一緒に宣教しているのです!その報告を読ませていただき、その証しを伺うたびに嬉しくなるのです。それでもまだまだ、自分たちのことばかりに必死になってしまい、他の宣教者、牧者のためのお祈りが足りないと思わされます。
出て行く働き人は、本当に尊く多くの犠牲を払っています。そこに敬意と感謝を払う必要があります。しかし、彼らをもてなし、送り出し、支援する者たちも、実に欠けてはならない尊い働きをしていることになるのです。「私たちはこのような人々を受け入れるべきです。」と長老ヨハネは、伝道者たちを受け入れ、ケアする大切さを語っています。ガイオは自分自身が出て行って、あちこち旅して伝道する人ではありませんでした。そうできない事情があったのかも知れません。しかし、会ったこともない伝道者であろうと受け入れ、支援し、その噂はたちまち広まりました。同じ聖書の真理のために働く「同労者」として歩み、多くの献身者から喜ばれたのです。
私の限られた経験でしかありませんが、実際にもてなしを経験しました。
学生時代には、米国、シンガポールに短期ミッションで行かせていただきました。教会の皆さんから支援され、送り出していただきました。その経験が今にも生きています。また、それぞれの国のクリスチャンたちにも本当に良くしていただきました。神学生時代のキャラバン伝道で訪れた地域の教会でも、本当に温かくもてなしていただきました。未熟だった私たちのために、それはもう大盤振る舞いで食事を用意くださった老婦人を覚えています。厳しい教会財政の中で、外食や温泉に連れて行ってくださった先生方、兄姉の皆さん。元々知り合いだった人々ではありません。ただ、主の愛のうちにあって、同労者として迎え入れていただきました。
実際、学生や神学生が何か奉仕をしたとしても、十分なことなどできないでしょう。米国でもシンガポールでも、キャラバン伝道でも証しをさせていただきました。伝道集会の企画、トラクト配布もしました。けれども、もてなされ、良くしてくださった以上のものを、私はできただろうかと思うと・・・受けたものの方がずっと大きかったのではないかと今でも思わされています。その犠牲的な愛のもてなしが、私たち献身者の背筋を伸ばし、また励まし、教え、育ててくれました。
私たちもそのようにして、主に仕える者を励まし育てていきたいのです。支えていきたいのです。私たち自身、誰もがキリストの使節、証し人です。同時に、神に仕える働き人を受け入れ、育て、支えていく使命をも主からいただいています。それもまた、真理のために働く同労者なのです。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会