東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 詩篇3篇1-8節「安らかな眠りを与えられる主」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/04/30

詩篇3篇1-8節「安らかな眠りを与えられる主」

*** 4/29(水)祈祷会 説教概略 ***

 この詩篇3篇で大事なポイントは5節にあるかと思います。
私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私を支えてくださるから」とあります。

 私たち人間は眠る存在です。人生の1/31/4ぐらいは眠っているわけです。寝ないと生きていけない存在です。しかし、心に安心がなければ途端に眠れなくなったり、眠りが浅くなったりします。そしてまた、人は寝ている時は、ほとんど無防備な状態です。仕事もできないし、遊ぶことも出来ません。何も出来ないのです。



 それはこのように考えることも出来るのではないでしょうか。眠っている間は、自分の意志で行動できないのですから、どんな人でも自分のいのちを神にゆだねなければならない時間であるということです。ですから、人が眠る存在として造られたことには、神様の目的やご計画があると言えます。眠っている間こそ、神様に最も信頼してゆだねるべき時なのかも知れません。みことばから教えられましょう。

 3篇の表題に、「ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに」とあります。この詩篇は、ダビデ王が自分の息子アブサロムに反乱を起こされ、命からがら逃れた時のものと考えられます。ダビデは自分の子に命を狙われるという非常に大きな痛みの中にいました。国としてもクーデターが起こったわけですから大混乱です。それゆえ、夜もゆっくり休むことが難しい日々が続いたのです。その危機的な状況において、ダビデが神様に拠り頼み、神様からの平安をいただいたという告白でしょう。1-2

1主よ なんと私の敵が多くなり 私に向かい立つ者が多くいることでしょう。

2多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。

 ダビデが置かれた厳しい状況がここから伝わってきます。まず、ダビデの息子の反乱において、息子のアブサロムの側につく者が多く出たのでした。特に、信頼していた仲間がいつの間にか裏切っていました。そのショックは非常に大きかったのではないでしょうか。特にダビデの一番の相談役・最高顧問であり、そして親友のように信頼していたアヒトフェルもその一人でした。最も信頼していた者の手によって、ダビデは命の危機にさらされたのでした。その他にも多くの家来が反乱軍につき、国は非常に危機的な状況に置かれてしまったのです。そして、敵対する者たちは皆「彼には神の救いがない」と言ったのでしょう。確かに、この状況だけを見れば、神様に見捨てられ、混乱した悲惨な状態になったかのように見えたのかも知れません。夜も眠れぬ日々が続いたのです。とても苦しく、死の危険が自分のすぐ横にあったのです。

しかしダビデは神様を求めました。それこそが、ダビデの最大の強みでした。 

3しかし主よ あなたこそ私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。

 ダビデは決して強くありません。多くの失敗をし、様々な罪を犯した人です。また、ここにあるように多くの人から裏切られ、見捨てられた人です。人々からは「彼には神の救いがない」と否定された。しかし、ダビデは神とともに歩みました。どんなに否定されても、ダビデは神様を信じて求めることをやめなかったのです

ここにあるように、神様こそが自分を取り囲んで守ってくれる盾だと信じました。また、主が顔を上げさせてくださると。

4節では「私は声をあげて 主を呼び求める」と歌います。私たちはしばしば、心の中でなんとなく「神様助けてくれないかなぁ」と思っているだけで終わることがあります。教会に通っているけど、神様に心から求めない。ピンチの時ほど神を求めず、自分で右往左往してしまう。そういうことはないでしょうか。しかし、ダビデは言うのです。「声をあげて 主を呼び求める」と。それは積極的に、熱心に主を求める姿勢です!私たちはもっと神様を自分から、熱心に祈り求める必要があるのではないでしょうか。すると主は、聖なる山から答えてくださるのです。「聖なる山」とは、シオンの丘のこと、それは神の契約の箱があった場所でした。

 この主への信頼こそが、ダビデの心を守りました。その体を支えました。5節にこうあります。5私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私を支えてくださるから。

夜に身を横たえて眠り、そして朝目覚める。それはごく当たり前の日常のように思えます。しかし、息子や自分の信頼する仲間から裏切られたのです。命を狙われ、国を追われました。恐れやストレスでとても安心して眠れないでしょう。それどころか、朝二度と目が覚めないかもしれないという恐怖との戦いです。なぜなら、睡眠中ほど無防備な状態はないからです。どんなに武勇に優れた英雄であっても、寝ている間であれば力の弱い女性や子どもですら息の根を止めることができるのです。ですから戦地における緊張状態の中では座って眠り、すぐ動けるようにせざるを得ません。しかし、ダビデは主にゆだねて横になって眠ったのです。なぜそうできたのでしょうか。5節の最後にある通りです。

主が私を支えてくださるから」です。

この語には「維持する」という意味もあり、神様こそが私たちの生命維持装置であるかのように思います。この行為自体が自分の命を神様に完全におゆだねする深い信頼、信仰ではないでしょうか。自分のいのちをゆだねるのです。自分の生死をゆだねるのです。自分で自分の人生を支配することをやめ、神様にその支配権をお任せしているのです。ですから、身を横たえて眠り、そしてまた、目を覚ますことが出来る。これは当たり前のことのようでいて、そうではない。神様が守り生かしておられることを知る機会です。私も先日来、鼻の呼吸の問題で苦しんでいます。昨晩も呼吸が苦しくなりました。呼吸系の病の怖さは長男の喘息発作時も次男の気胸の時も経験しています。寝ている間にそのまま息を引き取るケースも実際に少なくありません。

ですから何度も言いますが、人が一番無力で無防備で、何も出来ない状態が眠りに落ちている時です。しかし、その間も主が寝ずの番をしてくださっているのです。生かされているから目覚めることができるのです。そのことに感謝して生きる人と、「当たり前だ」と思っている人とでは、自ずとその生き方は変わって来るだろうと思うのです。

 このような神様の守りと支えを経験したので、彼は6節でこう告白します。

6私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。 

ダビデは当然恐れたはずです。悲しかったはずです。不安だったはずです。でも、彼はその中で主を信頼し、またその確かな守りを実際に経験したのです。どのような窮地にあっても、主がお支え下さる時、安心して眠りにつくことが出来るのです。ですから、敵がダビデをどれほど取り囲もうとも、私はもはや恐れないと告白します。主に救いを求めるからです。ダビデは主にある勝利を信じて、7-8節でこう告白します。

7主よ 立ち上がってください。私の神よ お救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち 悪しき者の歯を砕いてくださいます。8救いは主にあります。あなたの民に あなたの祝福がありますように。セラ  

 ボンヘファ作詞の「善き力にわれ囲まれ」のサビの部分、「善き力に 守られつつ、来たるべき時を待とう。夜も朝もいつも神は われらと共にいます」とあります。神の善い力に守られている。そして、夜も朝もいつ、寝ている間も、神はわれらとともにいます。皆さんの寝顔をずっと見守っておられる。

安らかな眠りを与えられるこのお方に身をゆだね、安心して眠り、そして目覚めた時に主に感謝しながら新しい日に臨みましょう。

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