東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ヨハネの福音書14~16章「御霊によって生きる」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/05/27

ヨハネの福音書14~16章「御霊によって生きる」

 *** 5/20(水)祈祷会 説教概略 *** (UPが遅れてしまいました)
 しばしば、イエス様を信じたはずなのに、変化を感じられないというケースがあります。もしかしたらそれは、聖霊に導かれることを知らないゆえかも知れません。イエス様を信じながらも、自分の信仰の強さに頼って、自分の知恵と努力だけで歩んでしまっているからかも知れません。聖書ではそれを「肉によって歩む」、「肉に属する人」と言います。けれどもクリスチャンは、聖霊によって新しくされ、この聖霊に導かれて歩むのです。それゆえ、上からの知恵と力を豊かに与えられ、喜びも増し加えられ続けます。



 来聖日は「ペンテコステ」です。それはキリストを信じるすべてのクリスチャンの心に聖霊なる神様が住んで、導いてくださるようになった記念日、お祝いの日です。聖霊は私たちを教え、導き、力を与えてくださいます。喜びをもたらし、感謝の心を起こさせ、勇気を与え、謙虚にさせます。何よりも、聖霊に導かれた人は自分の栄光を追い求めません。ただキリストの御名のため、キリストの栄光のために生きることが喜びとなるのです。聖霊の豊かな働きについてご一緒に教えられましょう。

 

ヨハネ14:16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。 

 まず、ここから分かることは、聖霊は「もう一人の助け主」であるということです。イエス様を頼りにしていた弟子たちにとって、イエス様が天に帰られることは孤独と不安でいっぱいになる事実でした。しかし、イエス様は信じる者を見捨てません。孤児にしたりはしませんですから、「助け主」が代わりに来て、その心の中で助け導いてくれるのです

この方はイエス様と別の教えをする方ではありません。聖霊はイエス様の教え、イエス様の思いをそのまま語り、そして私たちにわからせます。聖霊は他の個所で「キリストの心」(Ⅰコリ2:16)とも説明されて、イエス様がともにおられるのと同じことを意味しました。イエス様のマインドを自分のマインドと出来るのです。それは父なる神のみこころを知ることが出来るということです。

さらに、そればかりではなく、16節後半にあるように「いつまでも」ともにいてくださる助け主なのです。私たちから去ることはありません。イエス様が見捨てない、見放さないと言われている通りです。ただし、イエス様を救い主として信じて受け入れていることが大前提です。17節にはこうあります。

14:17  この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。 

 世はこの方を見られない、知ることができないとあります。一方で、「あなたがたは、この方を知っています」と説き明かされています。つまり、イエス様を信じない人々は、聖霊を知ることができないのです。一方で、イエス様を信じる者は、御霊によって新しく生まれた者となり、この聖霊が内住されるのです。こうして、クリスチャンはイエス様と心を一つにして、日々を歩むことができるのです。ヨットに乗る時、自分の手で漕ぐならば全然進まず疲れていきます。しかし聖霊の風を帆に受ける時、疲れることなく前に進めるのです。


 少し先に進みます。26節をご覧ください。

14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。 

 聖霊の働きとして、信じているあなたがたに「すべてのことを教え」、イエス様があなたがたに話した「すべてのことことを思い起こさせ」てくれる語られています。17節で「真理の御霊」とありましたように、聖霊は信者に、聖書の意味もこの世界でどう生きるべきかもすべて、その真理を教えてくれるのです。聖書を学問的知識で学んでも、心燃やされず、霊的に養われないのはそのためです。聖書は神の霊感によって書かれた「霊的な書」ですから、聖霊によらなければその真理が分からないのです。また、イエス様が話された内容、その意図をすべて、思い起こさせてくださいます。弟子たちは、イエス様と行動していた際、そのおっしゃっていることのすべてが分かったわけではありませんでした。むしろ、分からない事も多かったのです。しかし、後になって、聖霊が与えられてから、イエス様がおっしゃっていたことを思い出し、その意味が分かるようになったのでした。聖霊は私たちに、主のみことばを生活のあらゆる場面で思い出させます。しかもその意図を分からせてくださる。神の愛を実感させてくださるのです。少し先に進みます。

 1526-27節です。 

15:26  わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。15:27  あなたがたも証しします。初めからわたしと一緒にいたからです。 

 「助け主」である「真理の御霊」は、イエス様について証しをします。まず、私たちクリスチャンに、イエス様のことをよく分かるように助けてくれます。イエス様のことが最初は十分に分からなくても、イエス様を心に受け入れ、聖霊の助けをいただくとき、イエス様の考えやそのことばの意味が分かるようにされていくのです。これはとても嬉しいことですよね。「ああ、そういうことか」と神様のご計画に気づいたり、その意図に気づいたりすると感動します。

 次に、聖霊が働かれることによって、今度は私たち自身も、人々にイエス様の事を伝える者へと変えられていくのです。そのために必要なことば、勇気、大胆さまでも与えてくれるのです。ですから、人にイエス様を伝えたいと思うなら、聖霊の助けを受けることが必要不可欠なのです。逆に言うならば、聖霊によらなければ、人は救われません。ですから、自分を責めることも相応しくないのです。熱心に伝えるけれども、その人が救われるかどうかは、御霊にゆだねる必要があるのです。

 さらに16章で7節をまずご覧ください。 

16:7  しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。 

 聖霊が与えられることは信じる者にとって非常に有益だと分かりますね。イエス様が去ることはさみしかったはずです。でも、イエス様の心として各人のうちに聖霊が与えられると、逆にいつでもイエス様と心は一つになれます。物理的に一緒にではなく、霊的に一つにされる恵みです。その方がいつでも一緒ですね。

16:8  その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。 

 罪の理解、義の理解、さばきというもの。これらについての世の中の間違った考え、価値観を正しく教え導いてくれます。真理に導くのです。

 最後に、14節をご覧ください。

16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。 

 御霊はイエス様の栄光を現わされるのです。ですから、聖霊に向かって賛美し、聖霊をほめたたえよう!とはなりません。主キリストの栄光を現わすのが御霊の喜びなのです。ただ、時々私たちは、自分を褒めて欲しくなります。キリストではなく自分の栄光を求めてしまいます。それは御霊から出ていない奉仕、肉の思い、罪の思いから出た奉仕かも知れません。御霊に導かれて歩むことを大切にし、ただ主の栄光を現わしていきましょう。

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