東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エレミヤ書11章18-23節「真理を拒む罪と屠り場の子羊」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/06/23

エレミヤ書11章18-23節「真理を拒む罪と屠り場の子羊」

 *** 6/21(日)主日礼拝 説教概略 *** 

 本日のみことばは「真理を拒む罪」が人にはあることを教えています。これは罪ではないと思いますが(笑)、実は、私も今日はある真理を拒む心でいっぱいです。今日の午後、ワールドカップの日本戦があります。しかし、ご存知のように教会では「感謝総会」と「役員会」があります。「なぜこの日に!」と悔やまれます。ただし、録画はしてあります。あらゆるサッカーの情報をシャットアウトして、教会から帰ったらゆっくりドキドキしながら観たいと思っています。ゆえに、試合結果の真実を知りたくないのです。



 さて、半分本気のような冗談でしたが、私たちには、自分にとって受け入れがたい真理というものがあります。都合の悪い真理や耳に痛い真理があり、それを受け入れたくないのです。今日のみことばにおいても、神の真理のことばを拒む「人の罪」が語られています。それが行き過ぎて、神のことばを語る預言者エレミヤを拒絶し、迫害し、いのちまでも狙うほどであったのです。キリストもまた、神のみこころを語り、神のみこころを行うゆえに、拒まれ、憎まれ、迫害されました。

 けれども、キリストはやり返さず、むしろ真理を拒む人の手によって苦しめられることを受け入れ、そのような人々の罪のために十字架に死なれたのです。私たちを救うためになされたこの真理を素直に受け取りたいのです。

 

1.真理を拒む人の罪  

18節をご覧ください。

18節「主が私に知らせてくださったので、私はそれを知りました。それからあなたは、彼らのわざを私に見せてくださいました。 

 「私はそれを知りました」とあります。主である神様がエレミヤに知らせた「それ」とは何でしょうか。「それ」は、実に恐ろしいものでした。21節です。

21節 それゆえ、主はアナトテの人々について、こう言われる。「彼らはあなたのいのちを狙い、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と言っている。 

 なんということでしょう。アナトテの人々がエレミヤのいのちを狙っているというのです。アナトテというのは、実はエレミヤの故郷、郷里です。なんと同郷の彼らが、「主の名によって預言するな」と圧をかけようとしていたのです。19節では、『木を実とともに滅ぼそう』という彼らの殺害動機が見えてきます。木そのものを滅ぼせば、実りも生まれなくなりますよね。同様に、エレミヤ自身を殺してしまえば、その口から出る預言のことばも滅ぼせると考えたわけです。

 なぜ、エレミヤの口を封じたいのでしょうか。エレミヤが語っていたのは「神の真理のみことば」だからです。神様からのまっすぐなメッセージは、当時の権力者たちから非常に嫌われたのです。なぜなら彼らは、「この国は全く何の問題ない、平和で安全だ」と民を言いくるめていたからです。経済も十分、政治もいいし、神に祝されているのだと。国民を黙らせておきたかった。その方が自由に物事を決められ、甘い汁をすすれる。批判もされない。こうして神のみことばの真理を抹殺しようとした人間の罪深い姿です。

 私たちも問われます。みことばをえり好みしていないでしょうか。自分の願いに引き寄せてみことばを聞いていないでしょうか。苦言を呈する人と距離を置き、自分の成長につながる苦手な分野、好まない場所、新しいチャレンジから逃げていないでしょうか。神の真理のみことばが、あなたに何を語っているのか、まっすぐに求めていきませんか。

 

2.屠り場の子羊  

 さて、エレミヤはこの時の自分の姿について19節でこう表現しています。 

19節 私は、屠り場に引かれて行く、おとなしい子羊のようでした。 

 エレミヤは自身を「屠り場に連れて行かれる子羊」のようだと表現しました。それはまるで、殺されるとは知らずに、無邪気に喜んで人について行く子羊のようです。エレミヤはアナトテの家族や仲間を信じていたのでしょう

 ところが、敵は外国の遠くの人々ではなく、家族や仲間たち。身内だったのです。なんという衝撃でしょうか。応援してくれていると思った身内が、自分の口封じをしようとしているのです。知らない人に悪口を言われるより、信じていた人に裏切られる方が何倍も辛いですよね。

 このような悲しみの中で、エレミヤはどうしたのでしょうか。彼らを攻撃しよう、「倍返しだ!」と考えたのでしょうか。そうではありません。20節に彼の祈りがあります。 

20節 しかし、正しいさばきをし、心とその奥にあるものを試す万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私は見るでしょう。私があなたに、私の訴えを打ち明けたからです。」 

 エレミヤは正しくさばかれる神の御手に委ねました。神様は「心とその奥にあるもの」を見抜かれるお方です。すべてをご存知の神様が公平に正しくさばいてくださると彼は考えました。私たちもまた、不当に攻撃され、苦しめられることがあるかも知れません。正しくさばかれる主にゆだねたいのです。

ロマ12:19にこうあります。愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。 

 私たちが尊敬してやまない主イエス様は、どんなに罵られても、罵り返さず、苦しめられても報復しませんでした。それどころか、「彼らの罪をお赦しください」と祈られたのです。このようなお方だから、私たちはイエス様を心から敬い、この方について行きたいのではないでしょうか。19節にあったように、エレミヤは「私は屠り場に引かれる子羊のようだ」と自身を例えました。

 けれども、本当に何の抵抗もせずに屠り場に引かれて行った子羊がいました。イエス様です。エレミヤは苦しめられたものの、死を免れました。しかし、キリストは死を引き受けられました。エレミヤは敵のさばきを祈りました。しかし、キリストは敵の赦しを祈られたのです。

 

3.子羊イエスによる救い  

 神様は、21節で、アナトテの人々の罪を明確にした上で、22-23節でこう言われました。

22節 それゆえ──万軍の主はこう言われる──見よ、わたしは彼らを罰する。若い男は剣で死に、彼らの息子、娘は飢えで死に、23節 彼らには残る者がいなくなる。わたしがアナトテの人々にわざわいを下し、刑罰の年をもたらすからだ。」 

 若い男は戦いで剣に倒れ、息子や娘たちは飢え死にすると告げられています。これは彼らの悪行に対する神の厳格なさばきです。神様は確かに悪を見逃すことなく、正しくさばかれる方だと分かります。

しかし、こうしたさばきは、本当は私たちとも無関係ではありません。実は、私は最初にこの箇所を味わっていたとき、エレミヤの側に自分を置いていました。アナトテの人々はなんて酷いのか。「エレミヤは可哀そうだな」と思っていました。しかし、何度も黙想するうちに、実は私こそがエレミヤを苦しめる側なのだと示されたのです。なぜなら、私たちもまた、神のことばに従うより自分の都合を優先し、真理を退けて生きてきた者だからです。

 私たちは、真理は大切だと言うでしょう。しかし、本当に大切にしているでしょうか。自分の正しさを証明してくれる真理ならば好きでしょう。けれども、自分の罪を露わにされる真理は好きではないですよね。「赦し」についてのみことばは好きでしょう。しかし、『あなたが先に謝りなさい』とか『あなたも赦しなさい』言われると拒みたいですよね。「愛」についてのみことばも好きでしょう。しかし、『あなたの敵を愛しなさい』となると耳を塞ぎたくならないでしょうか。

 実に、私たちは真理を愛しているようでいて、自分に都合のよい真理だけを愛しているのではないでしょうか。それは偽善でしょう。

 その点で言うと、エレミヤを攻撃したアナトテの人々は、私たち自身の姿なのではないでしょうか。それは同時に、屠り場に引かれて行かれた子羊・主イエス様を十字架につけた側の人間なのだということです。それゆえ本来なら、22-23節にあるこれらさばきを受けるのは、私たち自身であってもおかしくはなかったのです。

 ですから、私たちはアナトテの人々を他人事のように責めることはできません。真理を愛しているようでいて、実は自分に都合の悪い真理は見て見ぬふりをしてきたのです。神のことばに従うより、自分の欲や自分の罪深い思いを優先したのです。それによって人を傷つけ、神を悲しませてきたのです。真理より愛より、自分の思いを優先し大切な人やイエス様を苦しめて来たのではないでしょうか。 

 しかし、それなのに主イエス様は、真理を拒んだ私たちのために屠り場へ向かわれました。十字架に向かわれました。私たちを罰する代わりに、私たちの罪の罰を引き受けてくださったのです。だから私たちは、真理から逃げるのではなく、悔い改めて十字架の真理に立ち返りたいのです。その真理は、私たちを滅ぼすためではなく、私たちを救うために語られたのです。私たちの罪を明らかに示した神のみことばは、同時に、その罪のすべてを赦し、圧倒的な愛と恵みで覆ってくださる主の愛を示す真理なのです。こんなにも罪深く勝手な者たちが、こんなにも大きな広い深い愛で愛されているという真理を、神様は今日もあなたに語っておられます。

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