東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 詩篇10篇12-18節「祈りのうちに変えられる」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/07/29

詩篇10篇12-18節「祈りのうちに変えられる」

*** 7/29(水)祈祷会 説教概略 ***

 神様に祈り続ける者は変えられていきます。
 詩篇10篇の1節はこう始まりました。「主よ なぜ あなたは遠く離れて立ち 苦しみのときに 身を隠されるのですか」。神様が遠くにおられる。姿を隠しておられる。詩篇作者にはそう思えたのです。しかし、その思いをすべて神様にぶつけていく中で、作者は徐々に神ご自身に目を向けられるようになっていくのです。


 状況が変わったというよりも、作者自身の見方が変えられ、見える景色が変化したということでしょう。私たちもこうありたいのです。環境や状況はそうそう変わりません。しかし、その現実を見る見方、考え方、価値観を主が変えて下さるのです。ですから、私たちも主に祈り続け、その現実の中にしっかりと主をお招きしましょう。

 

1.見ておられる神 

 11節までは悪人の話ばかりでしたが、12節から神様に助けを求める祈りに変わってきています。 

12主よ 立ち上がってください。神よ 御手を上げてください。どうか 貧しい者を忘れないでください。 

 神様に「ぜひ介入してください」、「どうか 貧しい者を忘れないでください」と祈ります。直前の11節を見ていただくと、「神は忘れているのだ」という悪い者の主張がありました。ともすると、クリスチャンでもそのように見えてしまうことがあります。でも、祈りのうちに、そうではないと気づかされたのです。当然ながら、神様は忘れてなどいないのです。ですから「忘れないでください」というのは、「お忘れでないことを明らかにしてください」との意味でしょう。

 なお、ここで言う「貧しい者」とは、経済的な貧しさだけを指すのではありません。悪人に虐げられて苦しむ者たちであり、自分ではどうにも出来ないと受け止め、神様に本気で求める人のことです。単に苦しむ者ではなく、それゆえに神様により頼む者を指しています。作者は13節で再び、悪しき者が神様を侮り、無視している現実に触れます。しかし、神の真実は何であるかを14節で明らかにしています。非常に重要な告白です。 

14あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。それを御手の中に収めるために。不幸な人はあなたに身をゆだねます。みなしごはあなたがお助けになります。 

 詩篇10篇の前半では、悪人目線や価値観が続きましたよね。神はいない、神はさばかない、神は忘れている・・・と。ところが、真実は全く逆であったと告白し始めています。「あなたは見ておられました」と。主は貧しい者、虐げられている者の労苦、苦痛、その涙、すべてを見ておられたのです。祈る中で、それが真実だと作者は気づいたのです。主は御手を伸ばして働いてくださる。助けてくださる。このような神様に、作者は続けて祈ります。 

15悪しき者と邪悪な者の腕を折り その悪を探し出して 一つも残らないようにしてください。 

 「悪しき者と邪悪な者の腕を折り」というのは、彼らから悪を行うその力を取り去って下さいという祈り。そして、彼らの中にある悪を徹底的に取り扱って下さいとの祈りです。すべてを知る神様にしか出来ないことでしょう。

 

2.支配しておられる神 

 この後も、祈りのうちに詩篇作者の心が変化してきていることが分かります。16節でこう語られます。16主は 世々にわたって永遠の王。国々は主の地から滅び失せました。 ここでは、あなたは「世々にわたって永遠の王」であるとほめ歌っています。さっきまで「神は遠い」と思っていた人が、「主は永遠の王です」と親しく賛美するに至っていることが分かりますね。しかも、「世々に渡って」と「永遠の」と同じような意味の語を二つ重ねています。英語ではforever and everなんて訳したりしていますが、「永遠にいつまでも!」ということです。主の永遠性を強調しているのです。

 作者は1節では、神の存在を遠くに感じていました。その無限の力や永遠性よりも、悪者の姿、この世の悲惨な現実ばかりに心が囚われていました。それでも問題をことごとく主に訴え祈ったのでした。怒りや絶望的な思いもあったかも知れません。それでも、主に祈るからこそ、徐々に主ご自身の素晴らしいご性質に目を留める者へと変えられてきたのです。一人で文句を言っているだけでは、私たちは変われません。しかし、状況が変わらなくとも、私たちは主にあって祈りの中で変えられて行けるのです。祈る者は、永遠の不変の愛と正義の神、全能なる主をいつでも目の前に見る者とされていくのです。

 

3.聞いてくださる神  

17-18節ではさらに進み、こう語られています。

17主よ あなたは貧しい者たちの願いを聞いてくださいます。あなたは彼らの心を強くし 耳を傾けてくださいます。18みなしごと虐げられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや彼らをおびえさせることがないように。 

 ここにある「貧しい者たち」も、経済的な貧しさだけではなく、悪人に虐げられて苦しむ者たちです。そして、それゆえに神を求める者です。その本質は、イエス様が山上の説教で「心の貧しい者は幸いです」と言われたことと同じです。自分の弱さ、足りなさ、満たされない心の貧しさを認めて、神様に求めるならば幸いなのです。そういう者の祈り、求めを主は聞いてくださる。

 皆さんはそのような幸いを自覚しているでしょうか。自分は強い、自分は色々持っている、自分は何も問題がないと思う人は、とても不幸です。神様を求められないからです。神様の助けがなくても、自分で満たされた気になる。しかし、私にはイエス様がどうしても必要だと自覚する人は幸いです。主を求めるからです。そして、求める者の祈りを主は聞いて下さるのです。そこに真の平安を与えてくださいます。

 18節の最後で、作者は神様のみこころに近づく者となっています。主が弱い者を守りかばって下さる目的は、「地から生まれた人間がもはや彼らをおびえさせることがないように」とのことでした。神に背く悪い者たちの滅びを願うのではなく、愛と正義が支配する神の国の完成を願っておられるのです。作者は祈る中で、神様が何をなさろうとしているのか、その意図、その目的に気づかされてきたのです。

 そして、この実現こそは、イエス・キリストによってなされるものでした。イザヤ書11は、救い主降誕の預言のみことばです。そこを味わうと、この願いの成就がキリストにかかっていると分かります。3-5節で、主イエスによるさばきがあり、その結果6-9節では、獰猛な獣や毒を持つ蛇とか弱い動物や赤ちゃんが一緒にたわむれる未来が預言されています。それはやがて完成する平安に満ちた神の国の姿です。

 私たちも詩篇作者と同じように、「神は遠い」と思う時があります。しかし十字架を見上げて祈りましょう。私たちの苦しみをご自身のものとして担って下さった主キリストが、そこにおられるのです。「主よ、立ち上がってください」とこのお方に祈りましょう。祈る者は、やがて詩篇作者と同じ告白へ導かれていくからです。「あなたは見ておられました」「あなた永遠にいつまでも私たちの王です」と。そして、やがて「平安に満ちた神の国」が完成することにも、目を向ける者とならせていただきましょう。

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