1日 出エジプト記21章
12節 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。 人の命を奪った場合、奪った本人もまた、「自分の命を奪われて然るべき」という考えだ。それは、人の命の重さを教えるためであった。他の人の命も、自分の命と同等に尊く、かけがえのないものなのだ。ただし、神はこれらの法の適用については、とても丁寧に教えている。例えば、殺意がなかった場合の教えが13節にある。 ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。 つまり、何らかの事情で誤って死なせてしまった場合には、「逃れの町」なるものを用意し、復讐から守られる道があったのだ。それは、目に見える「結果」だけで判断せず、その背景にあったことや詳細な事情、また、その人の動機や心を見る神のご配慮に満ちていた。 これらは現代の法律にも影響を与えている。私たちも隣人のいのちや人権を尊んでいきたい。そして、誰かが罪を犯したように見える場合にも、その背景や事情を抜きにして安易にさばかないことだ。丁寧に事情を把握し、その人の心を見ながら、ふさわしい判断していくのでも遅くないだ。