1日 マタイ3章
11節。バプテスマのヨハネは、水による「悔い改めのバプテスマ」を授けていたが、主イエスは水のバプテスマではない。聖霊と火によってバプテスマを授けるとヨハネは語っている。水による洗礼は、信じている者の公のしるし、証しとしての意味を持つ。しかし、キリストは、聖霊に満たされる信仰生活を与え、罪や汚れをきよめる火のバプテスマを授ける(12)。それは内側からのきよめであり、人が霊的に変えられていくことだ。キリストによる洗礼は、外側のしるしで終わらず、内側から変えられていく力だ。ヨハネはそのことから、自分はこの方の履き物を脱がせる資格さえないと謙虚に語る。それほどに、イエス・キリストの救いの力は圧倒的なのだ。私たちもキリストの救いの恵みを豊かに知り、まさに内側から変えられていく者とならせていただこう。