東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2024/02/06

伝道者の書6章1-12節「何が人のために良いことか」

*** 2/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

 この罪の世では、理解できない不条理が満ちています。正しい者が損をし、まじめな人が傷を負う。納得のいかないことが多くあり、努力が水泡に帰すこともある。それは、1節で、「私が日の下で見た悪しきことがある」と語られている通りです。

 日の下、それは天の神様を抜きにした、地上のみの世界のことです。神様を無視して、人間の価値観だけで生きるなら、この世に望みはなく、不条理と悪意に満ちた暗闇の世界です。これらの悪が人の上に重くのしかかっていると語られています。



2024/02/05

毎日の聖書【2月分】

1日 創世記19章
 当時のソドムは、滅ぼされても仕方がないほどに荒れていた。不道徳がはびこり、性暴力が日常的にあったことがわかる。13章11~12節によれば、ロトは最初はソドムには住んでおらず、少しずつソドムの町に近づいて行ったことがわかる。そして、この19章では、もはやロトたちは、すっかりソドムの町の住民になっていた。罪の誘惑は、少しずつ始まる。これぐらいならいいだろう・・・1回だけだ・・・と。しかし、人の良心はマヒしやすい。徐々に抜け出せないほどの罪の泥沼に陥るのだ。
 2人の主の使いがソドムに来た時、ロトは熱心にお誘いし、自分の家にお迎えした(3)。しかし、「種なしパン(発酵させていないパン)」を焼いているところを見ると、旅人をもてなす備えがないことが見受けられる。18章6-8節のアブラハムとは対照的だ。経済的繁栄を自ら求めたロトだったが、実際にはソドムでの生活はすさんでおり、あまり豊かではなかったのではないだろうか。目の前の欲に流され、小さな罪の連続の中で、気が付いたら闇の中にいたのかもしれない。むしろ私たちは、たえず主イエスとの交わりにとどまりたいのだ。

2024/01/31

ローマ書3章21-26節「信仰義認、その土台にある神の犠牲と忍耐」

*** 1/31(水)祈祷会 説教概略 ***

 「ただほど怖いものはない」と言われます。それは、この世の中で、見返りなしに与えられるものがほぼないからです。しかし、神様は公平で恵み深く、愛なる方です。ですから、人の行いや財産によって差がつく救いではなく、すべての人が等しく救われる、信仰による義というものを備えられたのです。生まれた環境や地位によらず、能力によらず、ただ信じるのみです。ゆえに、すべての人のための福音であると、私たちは胸を張ることが出来ます。価なしに義とされる救いの恵みを、みことばから教えられて参りましょう。


2024/01/29

第一ヨハネ4章7~12節「ここに神の愛が」

*** 1/28(日)主日礼拝 説教概略 *** 

 ある人が、自分の子どもに誕生日プレゼントに何が欲しいかと尋ねたところ、「愛がほしい」と言われたと言います。親としても愛しているつもりだったので、何が足りないのだろうかと悩んだようです。ハグをしたらいいのか、好きな物を買ってあげればいいのか、ほめてあげればいいのか・・・。「愛」ということばは、誰でも知っています。しかし、多くの人が本当の意味での愛を知らず、愛に飢え渇いているように思うのです。


2024/01/24

使徒2章43-47節「教会のコイノニア」

*** 1/24(水)祈祷会 説教概略 ***

 ここ数年、コロナウイルスの大感染という経験したことのないようなパンデミックを通らされました。いまだ、その途上にあるとも言えます。そして、特に、このパンデミックは私たちの交わりを止め、分断や孤立を生みましたね。そういう中で、今、改めて教会の「交わり」ということを考える必要を覚えています。私たちの「交わり」は主の前にあって、十分でしょうか。孤独を覚えている人はいないだろうかと感じています。



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