1日 出エジプト記33章
16節で、モーセは神に問いかけ、また自分なりの答えを神に申し上げている。「私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。」
神のみこころにかなった「神の民」であることは、何によって明確にされるのだろうか?あなたはどう思うだろうか。自分の信仰だろうか。自身の正しさや忠実さだろうか。「いい人」になれていることだろうか。モーセは言う。「それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」と。特別扱いの方に意識がいくかも知れないが、より重要なことは「あなたが私たちと一緒に行き」の方だ。神がともにおられる者。キリストと一つにされている者。それが、神の民、クリスチャンなのだ。すべては、神とともにあるかどうかにかかっている。