*** 6/13(日)主日礼拝 説教概略 ***
昨日、夕方に教会の外に出て祈りながら散歩をしました。そよ風がとても心地良く感じられました。そして、そよ風とともに、風が木々の葉を揺らす音を聞きました。その音もまた心を安らがせてくれました。同時に自分の体にぶつかって来る風の音と、木々の間をすり抜けていく風の音が違うことに心が留まりました。
ここ10年ほどを振り返ると、東日本大震災や様々な地震災害、台風・豪雨被害、さらには新型コロナウイルスによるパンデミックと、多くの災害によって死の危険を身近に感じる10年であったように思います。
それだからこそ、キリストを信じて揺るぎなく安心して歩めることはなんと大きな恵みであろうとかと改めて思わされています。究極的な解決はキリストにしかありません。コロナウイルスもやがて落ち着いていくでしょう。しかし、また別の災害や困難が私たちに訪れ、そのたびに死の危険が迫るからです。
ですから、私たちは本当の意味での死とその恐怖への特効薬はイエス・キリストの十字架であるということをいつでも覚えたいのです。
先週は神の聖さにあずかり、聖なる者として歩むということを教えられました。そして、その中で「聖さ」とは内的・個人的なことで終始するものではなく、人々との関りの中で捉えるべき面があることを教えられました。愛のない聖さなど存在しないということでした。