東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2021/11/01

ルカの福音書24章13-35節「心を燃やしてくださる方」

*** 10/31(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書2413-35節「心を燃やしてくださる方」


 皆さんは、最近、胸が熱くなること、感動を覚えることはありますか?胸が熱くされるような感動が日々の生活に豊かに与えられている。それはなんと幸せな事でしょうか。感動の数は「幸せのバロメータ」とも言われますが、神様とともに歩む日々は大小様々な感動で彩られる毎日です。 
 
 とは言え、かく言う私自身、忙しさの中で一つ一つを主の御前に恵みとして数え、味わうことが十分できていないことがあります。また、キリストと出会う前の私を振り返ると、冷めてしらけた人間だったなと思うのです。何事にも一歩引いて見ている私でした。よく言えば冷静、悪く言えば冷めていて無関心です。

2021/10/27

アモス3章1-8節 「語られたみことば、そこに生きる喜び」

*** 10/27(水)祈祷会 ***
アモス31-8節 「語られたみことば、そこに生きる喜び」

1-2節の宣告 
 有名な申命記64節でも、「聞け、イスラエルよ」と主は命じられました。
とにかく何はなくても「主のことばを聞く」こと。そこから私たちの信仰は始まります
私たちがとやかく何かを言うことによってではなく、主が語られることばを聞く。そこからすべてが始まるのです。

 ここではまさに、主の語られる預言のことばの重要性を再確認させてくれます。

2021/10/25

民数記2章「神の布陣」

*** 10/24(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記2章「神の布陣」

 月に2回程度は旧約聖書から語られるということで継続していますが、本日は先週に引き続き、民数記から教えられます。なお、祈祷会ではしばらく新約聖書の手紙を学んでいましたが、そちらが終わってアモス書になりました。

 アモス書の時代は、民数記の時代よりだいぶ時間が進んでおり、なんとイスラエルが絶頂期を迎えている時代です。領土も非常に拡大し、経済的にも繁栄していた時代です。もう水に困って神様に祈るという時代を過ぎた。それだけ豊かな時代です。

 しかし、それは同時に「神様なしには今日食べる物もない!祈らなければ!」という時代も終わったということですどちらが良いのだろうかと考えさせられます

2021/10/20

アモス2章6-16節 「イスラエルに対する宣告」

*** 10/20(水)祈祷会 ***

 25節までのところでは、イスラエルの周囲の国7か国の不道徳、非人道的な罪、無慈悲に殺戮、人身売買などへの神様のさばきの宣告がありました。

 そして、いよいよ本題とも言える、北のイスラエル王国に対する宣告が語られます。その内容は、やはり神を信じない国々に対するものとは全く異なるものでした。それは、神のご契約に対する背きの問題でありました。

2021/10/18

民数記1章「荒野における神の守り」

*** 10/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記1章「荒野における神の守り」

 木曜日にワクチンの1回目を受けました。注射自体はチクっとした程度でアッサリと終わりましたが、注射を打って15分もしないうちに左肩が凝り始め、やがて首・頭痛、そして腰にも来てパンパンに張ってしまいました。

 左腕にごく小さな異変が起きただけですが、体全体がそこを守り庇うかのように一緒に痛みを共有する。そんなことが私の体に起こったようでした。まさに先週のメッセージのように、キリストのからだに属する各器官は、一部が痛めば、そこをかばい合うように全体も一緒に痛む。身をもってそれを体験したところです。ただ、妻は腕だけが極端に痛くて、体の他の部分には何ら影響ないと言っていましたから、妻のからだは一体性がなくバラバラだねと言っておりました。(※筋肉がある人の方が影響を受けやすい?との声もあるようです。)

 冗談はさておき、私たちクリスチャンの信仰の歩みは、決して「一人ぼっち」のものではないのです。お互いを必要とし、お互いに支え合う交わりを持って歩むのが、キリスト者の信仰生活です。ですから、自分が倒れたらおしまいなんかじゃありません。あなたが倒れたのならば、起こしてくれる人がいる。あなたを支えともに歩む仲間が必ずいる

神様はそのような支え合う共同体を築きなさいと言っておられるのです。

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