東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2021/11/10

アモス4章1-13節 「聞かれるべき神のことば」

*** 11/10(水)祈祷会 説教概略 ***

 みことばは語られ続ける必要があります。しかし、語られ続けるだけでは足りず、みことばは聞かれる必要があるのです。どんなに語られていても、目の前にあっても、聞き入れなければ、みことばが人の心で湧き出る泉となることがありません。  

2021/11/08

民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」

*** 11/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」


 子どもの頃に「花いちもんめ」という遊びをしました。2チームに分かれて「誰々さんが欲しい」と相手の誰かを指名して取り合っていくゲームです。自分の名前を呼ばれると嬉しいのですが、反対に自分の名前が呼ばれないとさみしい気持ちになりました。

 人は誰かから求められ、必要とされ、そこに属することで安心する存在です。実に、造り主なる神様は、私たちの本当の居場所となってくださる方です。「あなたが欲しい、あなたでなければ」と親しく招いてくださっているのです。

 聖書はその神様からのラブレター、招待状であると言えます。

2021/11/03

アモス3章9-15節 「わたしでは足りないのか?」

*** 11/3(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス3章9-15節 「わたしでは足りないのか?」


 私たちの心は何によって満たされるのでしょうか。多くの物を所有することなのでしょうか。贅沢をすれば満たされるでしょうか。物で満たそうとすると、際限なく欲があふれ、かえって満足から遠ざかることでしょう。

 主は、わたしがあなたとともにいるではないか。すべてを与えることのできるわたしはでは足りないのか?私たちに問いかけます。そのような問いかけを意識しながら、みことばに聞いて参りましょう。

2021/11/01

ルカの福音書24章13-35節「心を燃やしてくださる方」

*** 10/31(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書2413-35節「心を燃やしてくださる方」


 皆さんは、最近、胸が熱くなること、感動を覚えることはありますか?胸が熱くされるような感動が日々の生活に豊かに与えられている。それはなんと幸せな事でしょうか。感動の数は「幸せのバロメータ」とも言われますが、神様とともに歩む日々は大小様々な感動で彩られる毎日です。 
 
 とは言え、かく言う私自身、忙しさの中で一つ一つを主の御前に恵みとして数え、味わうことが十分できていないことがあります。また、キリストと出会う前の私を振り返ると、冷めてしらけた人間だったなと思うのです。何事にも一歩引いて見ている私でした。よく言えば冷静、悪く言えば冷めていて無関心です。

2021/10/27

アモス3章1-8節 「語られたみことば、そこに生きる喜び」

*** 10/27(水)祈祷会 ***
アモス31-8節 「語られたみことば、そこに生きる喜び」

1-2節の宣告 
 有名な申命記64節でも、「聞け、イスラエルよ」と主は命じられました。
とにかく何はなくても「主のことばを聞く」こと。そこから私たちの信仰は始まります
私たちがとやかく何かを言うことによってではなく、主が語られることばを聞く。そこからすべてが始まるのです。

 ここではまさに、主の語られる預言のことばの重要性を再確認させてくれます。

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