東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
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プロテスタント、福音派のキリスト教会です。久米川駅南口から徒歩6分(3駅利用可)。
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主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)
最新情報
2021/11/24
アモス5章18-27節「あなたの心を求めておられる主」
*** 11/24(水)祈祷会 説教概略 ***
アモス5章18-27節「あなたの心を求めておられる主」
先週は主を「求めて生きよ」というテーマでした。罪を犯さないように、罪から離れようという消極的な歩みではなく、主を求めて生きていくことで、その結果、むしろ罪を犯したくなくなるし、主との交わりの中で守られていくことを教えられました。
今週は、主も
あなた自身を求めている
ということで
「あなたの心を求めておられる主」
というテーマで教えられます。
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2021/11/19
アモス5章1-17節「主を求めて生きよ」
*** 11/17(水)祈祷会 説教概略 ***
アモス
5
章
1-17
節「主を求めて生きよ」
この
5
章でも同様に、「イスラエルの家よ、このことばを聞け」と始まります。
そして、預言者アモスによる哀歌(もしくは挽歌)が歌われます。哀歌は嘆きの歌、深い悲しみの歌です。挽歌と訳すこともできるかと思いますが、それは特に死者を悼み悲しむ歌と言えるでしょう。イスラエルの将来の深刻な姿を嘆き悲しむ歌です。
しかし、その歌を伝えることで、民が一人でも悔い改め、主に立ち返ることを神様もアモスも願っていたに違いありません。
この歌は下記のように
D
の「頌栄」を中心とした
同心円構造(キアスムス構造)
を持っています。とても印象的に記憶に残るように文学的技法をこらした歌となっているのです。
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2021/11/16
ルカの福音書24章36-43節「疑わず、平安のうちに」
*** 11/14(日)主日礼拝 説教概略 ***
ルカの福音書24章36-43節「疑わず、平安のうちに」
しばしば私たちは、自分の思い込みの奴隷となっています。私はたまに、メガネをどこに置いたのか、見つけられないことがあります。基本的にメガネの置き場というのは自分である程度決めているので、変なところに置くはずがない・・・と
思い込んでいます
。
ところが、時に
無意識のうちに普段置かないようなところにメガネを置いてしまうことがあるのです
。特に最近は老眼が進んでいるので、メガネを外した方が近くがよく見えるので、つい外してしまう。それで分からなくなり、普段置く場所ばかりを探すので見つかるのに時間がかかります。
一例にすぎませんが、こうした思い込みのせいで、事実、真実になかなか近づけないことがあるものです。
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2021/11/10
アモス4章1-13節 「聞かれるべき神のことば」
*** 11/10(水)祈祷会 説教概略 ***
みことばは語られ続ける必要があります。しかし、語られ続けるだけでは足りず、みことばは
聞かれる必要がある
のです。どんなに語られていても、目の前にあっても、
聞き入れなければ、みことばが人の心で湧き出る泉となることがありません
。
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2021/11/08
民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」
*** 11/7(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」
子どもの頃に「花いちもんめ」という遊びをしました。
2
チームに分かれて「誰々さんが欲しい」と相手の誰かを指名して取り合っていくゲームです。自分の名前を呼ばれると嬉しいのですが、反対に自分の名前が呼ばれないとさみしい気持ちになりました。
人は誰かから求められ、必要とされ、そこに属することで安心する存在です。実に、造り
主なる神様は、私たちの本当の居場所となってくださる方
です。「あなたが欲しい、あなたでなければ」と親しく招いてくださっているのです。
聖書はその神様からのラブレター、招待状であると言えます。
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