東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2021/12/01

ピリピ3章12-15節「霊性の問題:クリスチャンの霊的成長」

*** 12/1(水)祈祷会 説教概略 ***

ピリピ3章12-15節「霊性の問題:クリスチャンの霊的成長」


 アドベントを迎えています。アドベントは「待ち望み」の時です。救い主イエス様のご降誕を心から喜び、また世の終わりに再臨されるキリストを待望するという意味もあります。

 しかし、「待ち望む」ということは主とお会いすることを心から楽しみにしているということです。でも、楽しみになるためには、神様と普段から親密な交わりをし、主のすばらしさをよく知っているからこそできることです。知らない相手を心待ちにできるはずがないのです。 そして、主である方を深く豊かに知って行くことこそ、私たちキリスト者の霊的成長そのものになります(霊性の中心にあること)。 
 

2021/11/29

アモス書4章12-13節「神に会う備えをせよ」

*** 11/28(日)アドベント第一主日 礼拝説教概略 ***

アモス書4章12-13節「神に会う備えをせよ」

 先日、人生で初めて「遺書」を書きました。正式なものではなく、どちらかと言うと家族への手紙です。ワクチンの接種の時に、万が一のことがあってはと・・・書きました。過去にアナフィラキシーもありましたし、何が起こるかわからないので書いた次第です。

 ある本の中で、神様は私たちのことをこんな風に見ているんじゃないか?とありました。それは「人は、まるで死なない者であるかのように生きている。そして、まるで生きていなかったかのようにして死んでいく」と。

2021/11/24

アモス5章18-27節「あなたの心を求めておられる主」

*** 11/24(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス5章18-27節「あなたの心を求めておられる主」

 先週は主を「求めて生きよ」というテーマでした。罪を犯さないように、罪から離れようという消極的な歩みではなく、主を求めて生きていくことで、その結果、むしろ罪を犯したくなくなるし、主との交わりの中で守られていくことを教えられました。

今週は、主もあなた自身を求めているということで「あなたの心を求めておられる主」というテーマで教えられます。 

2021/11/19

アモス5章1-17節「主を求めて生きよ」

*** 11/17(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス51-17節「主を求めて生きよ」

 この5章でも同様に、「イスラエルの家よ、このことばを聞け」と始まります。
そして、預言者アモスによる哀歌(もしくは挽歌)が歌われます。哀歌は嘆きの歌、深い悲しみの歌です。挽歌と訳すこともできるかと思いますが、それは特に死者を悼み悲しむ歌と言えるでしょう。イスラエルの将来の深刻な姿を嘆き悲しむ歌です。

 しかし、その歌を伝えることで、民が一人でも悔い改め、主に立ち返ることを神様もアモスも願っていたに違いありません。

 この歌は下記のようにDの「頌栄」を中心とした同心円構造(キアスムス構造)を持っています。とても印象的に記憶に残るように文学的技法をこらした歌となっているのです。

2021/11/16

ルカの福音書24章36-43節「疑わず、平安のうちに」

*** 11/14(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書24章36-43節「疑わず、平安のうちに」


 しばしば私たちは、自分の思い込みの奴隷となっています。私はたまに、メガネをどこに置いたのか、見つけられないことがあります。基本的にメガネの置き場というのは自分である程度決めているので、変なところに置くはずがない・・・と思い込んでいます

 ところが、時に無意識のうちに普段置かないようなところにメガネを置いてしまうことがあるのです。特に最近は老眼が進んでいるので、メガネを外した方が近くがよく見えるので、つい外してしまう。それで分からなくなり、普段置く場所ばかりを探すので見つかるのに時間がかかります。

 一例にすぎませんが、こうした思い込みのせいで、事実、真実になかなか近づけないことがあるものです。

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