東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2022/02/25

アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

*** 2/23(水)祈祷会 説教概略***
アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

1節 私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃()げられる者はなく、彼らのうち逃(のが)れられる者もない。

ここでは最後の幻、第五の幻が示されています。今度は祭壇の傍らに主が立っておられ、そこからさばきを下すという幻でした。この祭壇は偶像礼拝がささげられていた祭壇であると思われます。

2022/02/23

ルカ21章2-3節「主がお入り用なのです」

*** 2/22(水)ほっとカフェ 講演 *** 
「手軽にお花を飾ろう!」のイベントにて

 お花を飾るというのは、野に咲いているままを鑑賞するのとはまるで違いますよね。

「それぞれのお花の良さをどう生かして飾るのか」

 ということで、選択肢は無限にあると言っていいでしょう。

2022/02/21

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

*** 2/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

 教会は敷居が高い、行くのに勇気がいるとよく言われます。でも、そうであってはならないと思います。教会は普段集っている者たちが自分たちの満足のためだけにあるのではありません。人のために仕えてこその教会です。悩む人、苦しむ人、神を知らない人々のために仕えるのが教会です。初めての方をいつでも歓迎するのが教会です。

2022/02/17

アモス8章11-14節「みことばの飢饉」

*** 2/17(水)祈祷会 説教概略 *** 

アモス811-14節「みことばの飢饉」

 私たちは新型コロナウイルスの影響で、一時期教会堂に集まれないという経験をしました。初めての事でした。そうなって初めて、ともに集まって礼拝することが「当たり前ではない」ということに気づき、集まること交わることへの飢え渇きが起こったように思うのです。

 人間には失って初めて、ようやく気づける・・・そういう弱さがいつもあるように思います。「まさか失われることはないだろう」と、タカをくくっている部分があるのですよね。

 そして、当たり前にそこにあるという感覚が、次第に与えられていることへの感謝・ありがたみを分からなくさせてしまうことがあります。

2022/02/14

ルカの福音書24章50-53節「天に昇られたキリスト」

*** 2/13(日)礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書24章50-53節「天に昇られたキリスト」

 以前、牧会の働きのことで悩み考えていた時に、ある先輩牧師にご相談していました。その時に、こんなことばを頂きました。確かにこの地上で歩んで行く中で、教会も色々な試練を通らされるものです。それでも、どんなに傷ついても、教会はやがて美しく飾られたキリストの花嫁としていただける。そこに希望がありますねと。最後には必ず、教会はキリストの花嫁として美しく飾られて迎え入れられる。それで問題が解決されるわけではありませんが、不思議に励まされたのを思い出します。

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