東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2022/03/09

アモス9章11-15節「主は回復される方」

*** 3/9(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス911-15節「主は回復される方」

神様が私たちに試練をお与えになるのは何のためでしょうか?
苦しめることが目的ではなく、試練を通して練られ、自らの愚かさに気づき主を深く知る者となるためでしょう。神の民は、主に愛されていますから、愛する子どもを懲らしめる父親のごとくに、主はやがて多くの子どもたちの救いをもたらすために、このイスラエルの子らを戒めました。

 一度崩されるのは、再び建て直すためでもあると教えられます。

2022/03/02

アモス9章5-10節「偉大なる主を恐れよ」

*** 3/2(水)祈祷会 説教概略 ***

 アモス9章5-10節「偉大なる主を恐れよ」

「主を恐れることは知識の初めである」と箴言にあります。

神の偉大さと神の愛と恵みの深さ・大きさを知ることが、最優先事項であり、それを知らずしてこの世界を知ったとはまるで言えないからです。

2022/02/28

コロサイ1章1-8節「会ったことがなくても」

*** 2/27(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ11-8節「会ったことがなくても」

 ヘブル書の111節にこのようなみことばがあります。

ヘブル11章1節
信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです

 この世界は目に見えますが、それを造られた神様は目に見えません。そしていつまでも残る「信仰、希望、愛」も目に見える形あるものではありませんが、確かに存在する大切なものです。Ⅱコリ 418節にもこうあります

Ⅱコリント4章18節
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 見えるものは一時的。見えないものに「永遠」があるので、見えないものに心を留めましょうと聖書は勧めます。このような価値観、このような生き方を、私はキリストと出会うまで知りませんでした。しかし、これを知ってから、見えるものがすべてではないと教えられ、むしろ、いつまでも残る見えないものにより大きな価値を見出せるようになりました
 

2022/02/25

アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

*** 2/23(水)祈祷会 説教概略***
アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

1節 私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃()げられる者はなく、彼らのうち逃(のが)れられる者もない。

ここでは最後の幻、第五の幻が示されています。今度は祭壇の傍らに主が立っておられ、そこからさばきを下すという幻でした。この祭壇は偶像礼拝がささげられていた祭壇であると思われます。

2022/02/23

ルカ21章2-3節「主がお入り用なのです」

*** 2/22(水)ほっとカフェ 講演 *** 
「手軽にお花を飾ろう!」のイベントにて

 お花を飾るというのは、野に咲いているままを鑑賞するのとはまるで違いますよね。

「それぞれのお花の良さをどう生かして飾るのか」

 ということで、選択肢は無限にあると言っていいでしょう。

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