東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2022/05/25

コリント人への手紙 第一9章19~23節 「何人かでも救うために」

*** 5/25(水)祈祷会 説教概略 ***
コリント人への手紙 第一9章19~23節 「何人かでも救うために」
 
 人生100年時代と言われているにしても、私たちの人生はそんなに長いものではありません。あっという間に終わりの日を迎えるという言い方もできるかも知れません。

 ですから、与えられた限られた人生の中で、「いくらかでも人を救うお手伝いができた!(神様のもとにいくらかでも導けた!)」「そのためにお役に立てた」と思える経験をしたいものです。

2022/05/23

コロサイ1章15-20節「神の御子を知ろう」

*** 5/23(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ1章15-20節「神の御子を知ろう」

 昨日の青年会の集いで開かれたみことばは、マタイの福音書の1128-30節のみことばでした。多くの人に親しまれている有名なみことばです。ゆっくりお読みしますので静かにお聞きくださればと思います。イエス様ご自身のことばです。

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 

2022/05/18

創世記37-50章「成長したヨセフ」

*** 5/11(水)祈祷会 説教概略 *** (1週遅れの掲載となりました
創世記37-50章「成長したヨセフ」
 
 苦難の人生を通して成長したヨセフの姿に目を留め、主のみこころを教えられていきたいと思います。

 甘やかされて育つと、一般に苦労知らずで、人の痛みの分からない者になる一面があります。実際のところ、17歳のヨセフは鼻もちならない生意気な若者であったようです。

2022/05/16

民数記13章25-33節「思い込みの盲目」

*** 5/15(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記1325-33節「思い込みの盲目」


 「自分にはこれは出来ない」と決めつけ、神様が「やってごらん」とおっしゃる声をシャットアウトしているということはないでしょうか。実は私は、教会に集うようになって、「ギターをやってみないか」と声をかけられた時、最初はとても強く断りました

 自分は音感も悪いし、リズム感もないし、ギターなどという楽器とは全く別の世界に生きている人間だと思っていたからです。「どうせできない」との思い込みが強すぎて、恥をかくことになるだろうと思い、必要以上に強くお断りしたのを覚えています。せっかく声をかけてくださったのに、失礼な断り方をしたのではと思うのです。私は「絶対にできない」という変な自信があったのです(笑)。

2022/05/11

子育て「3つのゆだねること」

*** 5/10(火)ママ’sカフェ 講演概略 ***

 子育て「3つのゆだねること」

「子育て」には、目をかけ手間をかけるという要素と「ゆだねて見守る」という要素の2つの要素があります。今日は特に「ゆだねる」ということを学びたいと思います。

 見よ 子どもたちは主の賜物 胎の実は報酬。(詩篇 1273節)

 未成年の子は親の責任のもとにあるが、決して親の所有物ではありません。神様から授けられ、育てることをゆだねられ、任せていただいているのです。神様からの特別なプレゼントであることを覚えながら、子育てにおいて握りしめすぎず、「ゆだねる」ということを学びましょう。

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