東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2024/02/19

伝道者の書7章1-6節「むなしい人生から、実を結ぶ人生へ」

*** 2/18(日)主日礼拝 説教概略 ***

 インスタントの時代です。スマホであれこれ完結してしまいます。買い物も遊びも、仕事まで。手軽に色々なことができます。お店に行かずとも、デリバリーで様々な外食が楽しめます。結婚式や葬儀でさえ、しばしばオンライン参加が可能になりました。確かに、間口が広がり、便利になって、良い面も多くあります。

 しかし、その一方で、苦労して犠牲を払って何かをする機会も減りました。忍耐深く待つことや、コツコツ積み上げていくことが減ってしまったのは、残念なことかも知れません。しかし、その弊害や問題をあまり考えないのも私たちです。


2024/02/16

ローマ書4章1-8節「主に信頼して、ゆだねる」

*** 2/24(水)祈祷会 説教概略 ***

 「主に信頼して、ゆだねる」・・・おそらく幾度も耳にしてきたことばでしょう。けれど、信仰によって義とされ始まった信仰生活なのに、気が付くと信頼できておらず、ゆだねていない自分を発見する。そんな信仰生活だと言う方が少なくないのではないでしょうか。

2024/02/13

第一ヨハネ4章13~16節「神と私 相互内在の根拠」

*** 2/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

 我ながらとても難しいタイトルをつけてしまったと少し後悔しております。なんだか神学校の授業のタイトルのようです。少し居心地が良くない感じもします。ただ、こういったことばを使わないとどうなるでしょう。
「私たちが神のうちにいるようになり、神も私たちのうちにいてくださる、その根拠」というだいぶ長いタイトルになり、悩ましいところでした。それに、少し難しそうなタイトルも、たまにはいいですよね。


2024/02/07

ローマ書3章27-31節「誇りは取り除かれた」

*** 2/7(水)祈祷会 説教概略 ***

 日本の茶室には「にじり口」と呼ばれる狭い入り口があります。千利休が、聖書の「狭い門から入れ」との教えからインスピレーションを得た可能性も指摘されます。戦国時代、その入り口は狭いために、鎧や刀を置いて無防備なままで入る必要がありました。茶室はある種の聖なる空間と考えられ、地位も名誉もプライドも脇において、ただ相手と親しく茶を飲みかわす空間でした。私たちの信仰生活はまさにそうで、人間的な物を持ち込まないために、ただ神様の恵みによって、行いによらず価なしに救われるのです。それは、自分を誇る生き方から、神を誇り、神を賛美する人生へと変えられていくためです。


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