焼肉屋とカラテ道場に挟まれたビルの3階。そこが少し前の私たちの教会堂でした。礼拝堂とキッチンとラウンジが同居し、すべての催しが同じスペースで行われました。牧師室も変幻自在です。礼拝前はJYLCのスペース、礼拝後には会計部屋。ゲストがいらっしゃると「ゲストルーム」へと早変わりしました。
2024/05/13
2024/05/09
ローマ書7章1-6節「御霊によって主に仕える」
*** 5/8(水)祈祷会 説教概略 ***
クリスチャンの歩みの尽きない力はどこから、何によって得られるのでしょうか。出エジプト記の3章で「燃えているのに燃え尽きない柴」が出てきました。これから主の働きに召されるモーセに、神様がお示しになったものです。通常、燃えるためには燃料が必要です。この場合は柴と酸素でしょう。柴は燃えれば燃えるほど消費されなくなります。以前、カナダに滞在した時、ほとんどの山火事は勝手に消えるのを待つと言っていました。それは古い木々が燃え尽きれば自然に鎮火するからだと(また、そうやって古い木々が淘汰されることも必要だということでした)。燃料がなくなればやがて鎮火するのです。
2024/05/06
マタイの福音書11章28~30節「安息日の主から学ぶ安息」
*** 5/5(日)主日礼拝 説教概略 ***
この秋に私たちの教会では、星野富弘さんのアート展を開催予定です。それが決まった矢先に召天の報がありました。星野さんは若い頃に大きなケガで両手足の自由を失いましたが、それを通して救いに導かれました。そして口に筆をくわえて詩と絵を描き続けた生涯です。一昨日葬儀が行われました。昨年度私たちの教会で奉仕していた阿部神学生が、今年度遣わされている教会での葬儀でした。個人的には何かとお世話になった恩師の内田先生が司式をされ、本日の聖書箇所と同じみことばが語られていたので驚きつつ、神様の不思議な導きを感じています。
2024/05/01
マタイ18章21-35節 「赦された者の一歩」
*** 5/1(水)祈祷会 説教概略 ***
マタイ18章では小さい者を軽んじないことや、自分に罪を犯した者と和解して友となることを教えています。そして、二人でも三人でも信仰の仲間と祈る大切さも教えられています。私の時代に神学校の校長であった舟木信先生がこんなことをおっしゃっていたとある方から伺いました。「教会はイキイキしていて、問題があるところ」だと。面白い表現です。主にあってイキイキしている。しかし同時に「赦された罪人」の集まりなので、問題だらけ。もしかしたら、イキイキと豊かに活動しているからこそ、様々な衝突や問題さえも起こりやすい場所なのかも知れません(そこに主が働かれる!)。
毎日の聖書【5月分】
1日 出エジプト記8章
続いて神がエジプトに与えた災いは、蛙まみれにすることだ。寝台、かまど、こね鉢に至るまで蛙だらけだ(2-3)。さすがファラオもこれには困ったようだ。蛙を生み出すまねごとを呪法師にさせたのだが(7)、何の益にもならなかった。張り合ったところで環境はより悪くなるだけであった。何より、エジプトの呪法師は災いをもたらすマネはできても、それを取り除き、救いをもたらすことは何もできなかったのである。力がある者であっても、破壊や破滅は簡単にもたらせるだろうが、救いをもたらすことは難しい。それをなされるのは、救い主なる神だけである。ここでは、やむなく、蛙を除くように「主に祈れ」とモーセとアロンに頼むよりほかなかった(8)。私たちはその罪によって人を傷つけたり、破滅させることはできるだろう。このことばで、この態度で。でも人を救う力を持たない罪深い者であることを覚え、いつでも主に祈る者でありたい。
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