東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 3月 2019

聖書

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2019/03/31

たった一人の罪人を捜し求めて


あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。(ルカ15:7 

 「一人の罪人」という表現が目に留まります。たくさんいるから「一人ぐらい、いいのでは?」という考え方ではないことに気づかされます。キリストは失われた人を捜して救うために来られたとご自身の目的をはっきりさせていますが、「捜して救う」というところに神の人に対する積極的なご介入の姿勢がにじみ出ています。それほどに神は人を愛しておられ、誰ひとり滅びることを望んでおられないのです。むしろ、その一人のために大きな犠牲を払い、捜して救い出すならば、そこにはこれ以上ないほどの喜びが天にあるということをキリストは教えられたのです。「天にある」とは、世界中の誰よりも天の父なる神がまず喜んでくださるということに他なりません。どうか、迷子のようにさまようひとりひとりが、羊飼いのもとに立ち返り、安心して過ごせますように。そのために私たちキリスト者は祈り続け、キリストのご愛をお伝えしていきたいと願います。神は他の誰でもない、あなたを捜し求めておられます。キリストはあなたを招いておられるのです。

(2019年3月31日 週報掲載)

2019/03/26

教会堂案内 見取り図



 
 
1F 
 
玄関入って右手に「カフェ・ラウンジ」があります。
 
 
 
 
カウンターテーブルが窓際にありますので、勉強をしたりPC作業をしたりと使えます。もちろん、静かに聖書を読んでいただくのも良いでしょう。
 
1Fにはトイレは2つあります。どちらも手すりがあったり、広めに作られていますので、車椅子の方や体の不自由な方にも安心してお使いいただけます。
多目的ホールは、集会をしたり、食事をしたり、子どもたちが遊んだりと文字通り多目的なホールになっています。
 
卓球台、バスケットゴール

卓球台は、家庭用サイズではなく国際規格サイズです。
バスケットゴールは、低めに設置されており、本格的なバスケットはできませんが、
そこにあるとついついシュートを打ちたくなります。



 
 
ボルダリング・コーナー
若い子たちが色々コースを決めて、夕方まで遊んでいきます。
大人の方でもできます(かなり重い方はご遠慮ください)。良い運動になりますよ。
 


 そのほか、ボードゲーム、カードゲーム、本・マンガなども備えています。聖書マンガの他、国民的バスケットボールマンガ「スラムダンク」も全巻そろっています。
 
 洗礼式や結婚式のレセプション等もこちらのホールで行います。皆さんの憩いの場となりますように。
 
エレベーターが備えられています。

 
 3名まで同時に乗ることができます。
 
 
 
2F
 
 
礼拝堂は2Fにあります。なんと言っても教会の中心です。静かに落ち着いた雰囲気の中で心を神に向け賛美し、祈り、みことばを味わいます。聖歌隊、バンドによる特別賛美、ゲスト音楽家による賛美なども折々に持たれていきます。

礼拝堂
最大90~100名収容可能です。
ピアノの音と賛美が美しく響き、メッセージがよく聴き取れるよう工夫されています。

 


2F多目的室
祈祷室でもあり、母子室にもなり、ゲストルームにもなります
5~6人で交わりをするのにもいいです。ゆっくりくつろげる部屋です。



事務室&会議室
聖書の学びグループや様々なミーティング等に用いられます。


サロンは礼拝前の前室、受付の役目もありますが、皆さんがなんとなく立ち話をしたり少しゆったりとお交わりできる空間です。


2Fのトイレも多目的トイレとなっています。



ぜひ、当教会に来てゆっくりしていってください♪
あなたのお越しをお待ちしております。







2019/03/24

キリストの弟子として

 わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。(ルカ14:26  

 イエス・キリストのことばの中でも最も厳しいおことばの一つではないでしょうか。自分の身内、そして自分のいのちさえ憎む覚悟がないなら、キリストの弟子となることはできないという教えです。しかし、その真意を知る時に、むしろキリストの深いご愛に触れることになります。イエスの周りには大勢の群衆がついて来て、世的な期待に胸をふくらませていました。そんな群衆に対してイエスは言われたのです。「わたしの弟子になることは、甘い話ばかりではない。時には自分の家族、親しい人から憎まれたり、批判されたり、反対されたりすることがあるのだと。それでもわたしを愛するか?」と問いかけられているのです。この問いに応答してキリストを愛し続けるからこそ、それを見た人々はキリストは本物だと知るのです。実は、身内や自分のいのちを憎むとは、憎むことを教えているのではなく、キリストを第一とするという教えであり、自己愛から解放される道なのです。反対されてもなお、キリストに従う時に、結果として人々を神の救いにお招きする近道となっていくのです。

(2019年3月24日 週報掲載)

2019/03/21

新会堂建設中!

東村山福音自由教会(サンライズチャペル)
 
 
新会堂建設中です!
 
2F 礼拝堂正面 それっぽくなってきた?
 



エレベーターがつきました!
 


外壁。モスグリーンを基調としています。
 


2019/03/20

神のことば 聖書

 
私たちにとって、聖書が「神のことば」として信頼できるものであるかどうかは、とても重要な事です。聖書が人間の手による書物なら、その内容は不完全で誤りも多く、信頼性に乏しいと言わざるを得ません。

 しかし、もしこの聖書が「神のことば」で、完全な書であると信頼できるならば、私たちはこの聖書をすべての基準として歩んでいくことができるのではないでしょうか。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
(Ⅱテモテ3:16
 
 神の霊感によって書かれたとは、神の霊(あるいは神の息吹)によって生み出されたという意味です。つまり、聖書は神の働きかけによって誕生した書物なのです。神は決して聖書記者たちをロボットのように操って機械的に記させたのではなく、その人の人格や文体のクセまでも自由に生かしながら、それでいて間違いなく記させました。
 
 


聖書が神の霊感によって書かれた「神のことば」であることを裏付ける外部証拠
1.聖書に関する驚くべき事実
① 聖書は最も多くの人に読まれている書物
分冊含め、毎年5億以上出版、販売・配布されている。印刷機がはじめて発明されたとき、最初に印刷されたのが聖書。日本でも隠れたベストセラーとして新聞で紹介。(日本では年300万部ほど)
② 聖書は最も多くの言語に翻訳されている書物
 聖書は2200以上の言語に翻訳されています。私たちは100の言語さえ言うことができるでしょうか? それだけ世界中で読まれている書物だと言えます。
③ 聖書は最も多くの迫害を受けてきた書物
 聖書はまた、最も多くの迫害を受けてきた書物です。影響力があるからこそ、迫害する者・反発する者も多いのです。ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、聖書を残らず燃やすよう命令を出しました。彼はすべての聖書を燃やしたことを確信し、記念碑やメダルを作ったそうです。しかし、それでもなお聖書は生き残ってきた事実こそ、人には滅ぼせない奇跡の書であるあかしです。
④ 聖書は最も多くの影響を与えてきた書物
 世界の科学、文学、美術、音楽、思想、道徳、法律・・・。ありとあらゆる分野に聖書の存在が  
 あることは、日本でさえはっきりとわかります。

 
 

 

聖書の読み方


 神のことば、人生の手引書、世界のベストセラーである聖書を読んでみましょう!

とは言っても、初めての人は、どこからどう読んでいいかも分からないものですよね。そこで、少し読み方をお伝えしようと思います。

1. 祈って読んでみましょう。

聖書は、神の霊的な息吹によって記された霊的な書ですから、神の助けなしに人の知識や教養だけで読んでも真理を得られるものではありません。

信じている方はもちろん、信じていない方も一言でいいので「神様、あなたの真理を教えてください」とまず祈ってから読んでみてください。

これまでとは違った発見、まさに「目からウロコ」と思える体験をすることと思います。
※「目からウロコが落ちる」ということわざは、聖書に由来しています(TV番組 『トリビアの泉』でも紹介されていました。参考:使徒9章18節)。


2. どの書から読んだらいいのか?

聖書はとても分厚い書と思われがちですが、ジャンルの異なる小さな本の集まりとも言うことができます。旧約39巻、新約27巻、合計66巻からなります。3×9(さんく)=27 と覚えると楽です。

その中でどこから読むかは、個人の自由で良いと思うのですが、一応お勧めを書いてみます。

◆ キリストの生涯を学んでみたい
 ⇒そういう方は、新約聖書の福音書から読んでみましょう。どの福音書でもいいです。

◆ 天地創造のこと、人の起源を知りたい
 ⇒旧約聖書の最初の書である「創世記」を読んでみてください。割と読みやすいと思います。

◆ 全部を通して読みたい
 ⇒創世記から黙示録まで、順に読んでいくと良いと思います。おおむね時系列になっています。流れをつかむのに良いと思います。なお、1日に4章読むと1年以内に全部読むことができます。

◆ 格言や詩を味わいたい
 ⇒箴言(しんげん)は、格言集で日々の生活に役立つ知恵が満ちています。31章ありますので、毎日1章ずつ読むとちょうど1か月ぐらいです。詩篇は美しい詩、賛美、感謝、また苦悩の告白など、人の心の叫びがあります。励まされることでしょう。


3. 心に留まったことばを繰り返し味わおう

イギリスのロイド・ジョーンズという人が、この読み方を提唱してくれていました。読んだ時にわからないところも多くありますが、ずっと読んでいるうちにちょっと気にかかった部分、心に留まる部分というのがあると思います。

そういう場合に、一旦立ち止まって、じっくりとそのか所やその前後を読んで味わってみてください。心に思いめぐらしながら味わうと良いでしょう。

ただ読むだけで終わらず、そのことばを信じて心に握りしめてみてください。


2019/03/17

すべてを神の栄光のために

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 (Ⅰコリ10:31)  

 キリストを信じる者には自由があります。聖書の教えは人を束縛するものではなく、人を罪とサタンの支配から自由にし、正しい良いと思えることのために自分をささげることができるようにするものなのです。「真理はあなたがたを自由にします」とキリストが言われたように、真理を知ると自分がどういう支配の中にいたかがわかり、何が自由で何が不自由なのかも知る者とされます。そして自由を有意義に用いて、自身もイキイキとしていける道とは、神の栄光と他の人の益を求めて生きることですです。自分のために使う自由は思ったほど豊かではありません。かえってむなしさが残るものです。子どもたちが自分に与えられたお小遣いの多くを、意外にも家族や友人のために使っている姿を見て微笑ましく思います。そして教会にいる時だけが恵みの時でもありません。聖俗分離ではなく、私たちが遣わされているところすべてが、神の働かれる場となることを覚え、みことばを握りしめて毎日を歩みたいものです。神はあなたのいるところどこにでもおられ、あなたを通してその場を祝福したいと願っておられるのです。

(2019年3月17日 週報掲載)

2019/03/10

神の御前に、私は何者か

このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。(Ⅰ歴代誌29:14)  

 多くの奉仕をなしたり、多くの犠牲的なささげものをしたりするときに、私たちはしばしば高慢のワナにかかることがあります。「自分はこんなにやっている」という感覚は、次のような思いへと発展しやすいのです。ある人は、こんなにやっている自分は非常に立派であると考え、神への感謝、人々への感謝を見失います。ある人は、こんなにやっているのに十分な評価がないと考え、不平不満を募らせます。しかし、ダビデ王のこの祈りは、神の前に自分が何者であるかを問われるものです。彼の祈りに教えられることは、献げることができた自分を誇るのではなく、献げられるように与えてくださった神に感謝し、神を賛美するすばらしさです。人がほめてくださる時に、建前ではなく心から「いいえ、私ではなく主がしてくださったことです」と告白できる者とされたいのです。何かが思った以上にできた時にも「主にある兄弟姉妹の祈りのおかげ、祈りを聞かれた主のみわざです」と実感を込めて言える者となりたいのです。

(2019年3月10日 週報掲載)

2019/03/03

自ら進んで、全き心をもって

民は、長たちが自ら進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心をもって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。 (Ⅰ歴代誌29:9)  

 喜びにあふれているイスラエルの民の姿がここにあります。それは祈り求めていたものが与えられた喜びではありません。病がいやされた喜びや何かを完成させた喜びでもありません。それは「献げる」喜びでした。喜びの理由は何でしょうか。第一に、主のために、主の宮のために「献げられた」という喜びです。むなしく消え去るもののためでなく、永遠の神の栄光のために財を献げた喜びです。第二に、嫌々ではなく「自分から進んで」、しかも心からの平安のうちに「全き心をもって」献げられた喜びです。強いられてではなく、騙されてでもなく、虚栄心からでもなく、ただ主のために自分の意志で進んで献げたゆえに喜びがあふれているのです。心を献げた喜びです。第三に、個人的な喜びではなく、他の人々が主を信頼して喜んで献げているのを見て喜んだというともに献げた喜びです。共同体としての喜びであり、一人二人では不可能なことでも、主に導かれともに献げ合っていくとき豊かにされます。新会堂建設の中で私たちは今、現にその喜びをともに味わっているのです。

(2019年3月3日 週報掲載)

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