2024/01/31
2024/01/29
第一ヨハネ4章7~12節「ここに神の愛が」
*** 1/28(日)主日礼拝 説教概略 ***
ある人が、自分の子どもに誕生日プレゼントに何が欲しいかと尋ねたところ、「愛がほしい」と言われたと言います。親としても愛しているつもりだったので、何が足りないのだろうかと悩んだようです。ハグをしたらいいのか、好きな物を買ってあげればいいのか、ほめてあげればいいのか・・・。「愛」ということばは、誰でも知っています。しかし、多くの人が本当の意味での愛を知らず、愛に飢え渇いているように思うのです。
2024/01/24
使徒2章43-47節「教会のコイノニア」
*** 1/24(水)祈祷会 説教概略 ***
ここ数年、コロナウイルスの大感染という経験したことのないようなパンデミックを通らされました。いまだ、その途上にあるとも言えます。そして、特に、このパンデミックは私たちの交わりを止め、分断や孤立を生みましたね。そういう中で、今、改めて教会の「交わり」ということを考える必要を覚えています。私たちの「交わり」は主の前にあって、十分でしょうか。孤独を覚えている人はいないだろうかと感じています。
2024/01/21
伝道者の書5章8-20節「当てにならない富と人を満足させる神」
*** 1/21(日)主日礼拝 説教原稿 ***
新年礼拝では、困難な中にあっても、主にあって喜び、楽しむ一年にしようと教えられました。今日のみことばでも、神様が私たちに豊かに富や財産を与え、それらを楽しむことを許し、また、心を喜びで満たしてくださることが語られています。
19-20節では、「楽しみ」と「喜び」、両方が神様によって与えられていることがわかりますよね。聖書や神様のイメージとして、「難しい」「厳しい」などあるかも知れません。しかし、ここにあるように人を幸せにしたいと願い、喜びや楽しみさえも豊かに与えてくださる神様であるとわかります。実際、私はクリスチャンになってからの人生の方が、ずっと喜びに満ちています。しかしながら、これらの物によって人は満足できず、害を受けることさえあると語られています。神様が良き物として与えてくださっているのに、なぜ、そうなってしまうのでしょうか?
2024/01/18
ローマ書3章10-20節「赦された罪人としての交わり」
*** 1/17(水)祈祷会 説教概略 ***
今日のテーマは「赦された罪人としての交わり」ということです。ちょうど、昨日のママsカフェでも、子どもたちが自分の過ちを認められるように育てていくというテーマでありました。そこで大切なことは、罪を認めること。そして、自分たちが罪人であることを、率直に言い現わせる交わりを築くことです。
2024/01/15
2024/01/11
2024/01/08
新年礼拝 ハバクク書3章17-19節「主にあって楽しむ一年」
*** 1/7(日)主日礼拝 説教概略 ***
新しい一年を迎えました。今年は年始から大きな地震や飛行機の事故があり、前途多難な年明けという印象です。亡くなられた方、被災地で苦闘されている方がおられます。私たちも被災地のために祈りつつも、一緒になって落ち込まないことが大切だと思っています。
2024/01/01
年末感謝礼拝 エペソ5章15-20節「すべてのことを感謝して」
*** 12/31(日)年末感謝 主日礼拝 ***
今年は暦の上で、正真正銘「2023年最後の日」に日曜日となっており、この時に礼拝がささげられますことを感謝いたします。元旦礼拝はありませんが、今から12時間もすれば新年でありますから、年の締めくくりであり、同時に新しい年を意識しながらみことばに聴いて参りましょう。
毎日の聖書【1月分】
1日 創世記1章
神がおられる大前提で、「はじめに神が天と地を創造された。」と語られる(1)。
神の存在は絶対的。この方なしには、世界も私たちもありえない。この方はことばをもって、世界を造られた。「光、あれ。」と(3)。それは主権者であるからできること。この世界のすべては神のものである。神が意志する=その通りに寸分たがわずことが成る!
この神を知ることが知識の初めだ。年の最初にこの方を知ることから始めよう。
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