*** 10/28(水)祈祷会説教概略 ***
2020/10/28
2020/10/26
ルカ20章45-21章4節 「見える栄、見えない栄」
*** 10/25(日) 礼拝説教概略 ***
VRゴーグルというのをご存知でしょうか。VRはバーチャルリアリティ(仮想現実空間)の略ですね。それを装着するとまるで3Dの別世界にいるかのように体験できるというものです。最近の技術はすごいものですね。
で、私はまた変なことを思いつきまして、神様目線で見られるというVRゴーグルがあったら面白いなと。名付けてGEG(Gods Eye Gogle)です。人間の目で見るのとは全く異なる神様目線での人間の世界の景色。それを私たちが見られるとしたら。もしかしたら、美しい人が美しく見えず、見栄えのしない方がものすごく美しく見えるかも知れません。心の思いが表面化して見えるといった感じでしょうか。それで見る時に、私たち自身の姿はどう見えるのでしょうか。人の前には美しく立派に飾ることができても、神様の目に美しく飾られているかは全く別ですよね。
2020/10/21
Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」
*** 10/21(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」
自分の思いを神とせず、神である方を神として恐れ従うこと。
ようやくダビデ王に謁見できたアブサロムでしたが、そこには期待していたような親子の心の交わりはありませんでした。一応の和解の形にはなったものの、おそらく親しく抱き合い語り合うこともできなかったのでしょう。それはアブサロムにとって、決定的にダビデとの距離を痛感させられる機会となってしまったことと思います。
2020/10/20
心のケアと人間関係「承認欲求を健全な方法で満たすには?」
「承認欲求」
ということばを聞いたことがあるでしょうか?
人から認められたい、受け入れられたいという欲求です。
具体的な例としては、頑張っていることを認めてもらいたいとか、同世代の友人からすごいね!と言われたいとか。そして若い人たちであれば、SNSでの返事や「いいね」などの友人たちからの反応を求める欲求などです。
2020/10/19
レビ記19章1-8節「聖であるとは?PartⅠ」
*** 10/18(日)礼拝 説教概略 ***
レビ記19章より 「聖であるとは?」
「聖さ、聖なること」。それは聖書における大切なテーマです。なぜ大切なのかと言いますと、聖書でこう語られているからです。
ヘブル人への手紙12:14です。
「聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」
聖さがなければ、だれも主を見ることができませんと言われています。
なぜ、聖さがなければ主を見ることができないのでしょうか。
2020/10/16
赦しの力 ~返却された「鬼滅の刃」~
赦しの力 ~返却された「鬼滅の刃」~
山口県の温泉施設「おんせんの森」で、無料で読める漫画本コーナーがあるそうです。実にこの漫画、子どもから青年世代に絶大な人気があり、鬼滅グッズをおまけにするだけで売り上げが数倍になるほどの経済効果があります。スーパーのお菓子コーナーでも、鬼滅のおまけがあるお菓子だけはすぐに売り切れになってしまうほどです。それだけの人気があるので漫画本を買いそろえるのも容易ではなく、探し回って買いそろえたということでした。
ところが、そこに納められていた人気漫画「鬼滅の刃」20冊分が盗まれたという事件がありました。
2020/10/14
Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」
*** 10/14(水)祈祷会説教概略 ***
Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」
人間関係において「存在をないもののように扱われる」、つまり無視されることほど苦しいことはありません。特に大切な方から無視をされることは本当にさみしく辛いことです。
2020/10/13
2020/10/12
ルカの福音書20章41-44節「われらの主キリスト」
*** 10/11(日)礼拝説教概略 ***
大学時代にイエス様を信じ受け入れるお祈りをした時に、教えられるままにこのように祈りました。「イエス様、私の罪のために十字架で死んでくださり感謝します。今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。私の人生を導いてください。」
おおむねこのようなお祈りだったと思います。
特に重要なのは、イエス様を「罪からの救い主」つまり「キリスト」であると信じること。そして、もう一つは、私の人生を導く「主」であると告白することです。
2020/10/09
2020/10/07
2020/10/05
レビ記18章1-5節「神の定め、神の掟」
*** 10/4(日)礼拝説教概略 ***
法やルールは何のためにあるのでしょうか。本来は人が安心して、安全に過ごすためにあると言えるでしょう。しかし、しばしば人が定める方は不完全で、一部の権力者にばかり都合の良い悪法となることもあります。「生類憐みの令」のようなかえって人を苦しめ不幸にしてしまうものもあります。
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