東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2019/05/19

恵みが見えない



父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。(ルカ15:31 

 兄息子は怒っていました。弟は、父の財産を生前から求め、それをもらって家出をし、遊びまくって一文無しになった不良息子です。父から叱られ罰せられ、厳しい毎日を使用人として過ごすのなら納得もいく。しかし、父は弟の帰りをあまりにも手放しで喜び祝っているのです。自分は長年我慢して仕えて、遊びたい時も遊ばず、悪さもせずにやってきたのに・・・。そんな妬みから来る不満と怒りに支配されているのです。父親は弟ばかりを愛し、兄を愛さなかったのでしょうか。弟だけを心配し、兄を心配していないのでしょうか。兄の怒りのことばに対しての父の答えがこの31節です。「おまえはいつも私と一緒にいる」とあります。実に、これが最大の恵み、最大の幸せだったのです。弟はここからこぼれたので、必死に帰りを待つ父の姿がありました。一方で兄はここにいるのです。恵みの場にいるのです。しかし、恵みと愛がここにあっても気づかない、見えない盲目な兄です。父は彼をもとても心配しなだめています。私たちは恵みと愛の場にいながら、その恵みと愛が見えない盲目な者にならないようにと思います。目の前にあるのです。
(2019年5月19日 週報掲載)

2019/05/15

講壇と聖餐卓

 
本日、注文していた講壇、聖餐卓が届きました。
サクタスタイルさんにオーダーメイドで製作いただきました。
古い講壇よりも高めにしていただき、落ち着いた色をお願いしました。
十字架にライトを当てているので、十字架が明るめに映っていますが、
実際は十字架の色と講壇の色が近い感じです。
 
講壇と聖餐卓

講壇の正面部は十字架がさりげなく影となって見えるデザインです。
背後の白壁に十字架がしっかり掲げられているので
講壇のデザインはさりげなく!
 
聖餐卓は講壇と色を合わせて統一感を出しつつ
背景の白い壁が見えるようにデザインいただきました。
 

講壇と聖餐卓

2019/05/14

子育て「思春期と向き合う」



 
子育てをしている限り必ず通る思春期。
子どもによって思春期の通り方も様々ですが、多かれ少なかれ親は苦労をするでしょう。
しかし、この思春期をもう少し理解することで、ベターな対応をすることが可能になります。
 
思春期の特徴とその背景をよく知り、賢い関わり方を意識してみましょう!

 1.思春期の特徴

 ・イライラしやすくなる   ・疲れやすい     ・反抗的な態度  
 ・親から距離を置く     ・外見を気にする   ・感情的(特に女の子)理屈じゃない


 
これらは表面的なものに過ぎません。その背後に何があるのかをよく理解してあげることが、子ども自身をよく理解することにつながり、良い信頼関係を築くのに役立ちます。
 

では、上記のような特徴が現れる原因は何でしょう?  

 ① 急激な成長のゆえ
 
   この時期は子どもたちが急激に成長します。しかし、成長というのは心も体も同時に同じだ   
   け成長するものではないのです。ですので心身のバランスが崩れやすい時期と言えます。

   大人扱いして欲しい面と、子どもでいたい面の両者が共存。アンバランスな状態です。 
   成長に多くのエネルギーを消耗するので、とても疲れやすいとも言えます。

② 比較意識が強くなるゆえ
   
   自分のことも周囲のことも以前よりもよく見えるようになります。
   そうなると比較意識も強くなり、劣等感等も感じやすいのです。
   外見にも興味がわき、異性への意識も生まれます。
   他の人より成長が早くても不安になり、遅くても不安になります。
   皆と違うことに敏感です。

   ぜひ、こうした背景をよく理解し、本人が劣等感に悩んだり、不安になったりすることをよ 
   く理解してあげると良いでしょう。

 ③ 大人の前味
   
   子どもの頃は甘いコーヒー牛乳を飲んでいたのが、段々と大人の苦みのあるコーヒーを飲む
   ようになるということがあります。それと似ていて、思春期になると段々と大人の社会の厳
   しさみたいなものを、以前よりも知るようになり、意識し始めます。
 
   勉強も自分が頑張らないと良い学校に行けないし、部活動なども責任が伴ってきます。
   大人の前味を味わいながら、自立に向かって成長しますが、まだ不安がいっぱいなのです。

 
 
2.どのように関わったらいいの?
 

では、実際にこのような背景を抑えつつ、どのように関わると良いの


 (1) いつでもリスペクトを忘れない。
 
 次の聖書のみことばの場面を少し考えてみます。

ヨハネ4:6-7  そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。一人のサマリアの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。



 イエス様の関わりによって、とても傷ついたひとりの女性の心が開かれ、そのことばがしっかりと心に入っていきます。それはなぜか?
 この女性、サマリヤ人であり、ユダヤ人であるイエス様とは関係的に犬猿の仲にある民族同士。しかも、この人は5回結婚に失敗、6人目の人と同棲中。一目を避けるようにしてひっそりと生活していましたし、女性蔑視の時代背景も手伝い、昼間にこんな会話をすることはあり得ませんでした。ところが、イエス様のほうからこの女性の人格を尊重するようにして話しかけられ、水を飲ませて欲しいとお願いをしています。
 
 実に、この会話から彼女の心が開かれていき、彼女は大きく変えられていくのです。
 
 思春期の子は、大人にとって「異文化の人」のように思えるかも知れません。また、上から目線で指導すべき相手としてのみ見えるかも知れません。あるいはまだまだ未熟な子として、しばしばその意見も軽んじるでしょう。
 
けれど、その関わり方がかえって思春期の子どもとの溝を広げてしまいます。
 
ぜひ、次のことに注意してみましょう。
 

 ①上から目線はもうやめよう。対話によって真実を伝える努力。

 ②高圧的なやり方は反抗心や「内なる怒り」を強めてしまう。

 ③子ども扱いされることを嫌う。自立への歩みを尊重し、親の価値観を無理強いしない。

   一方的に親の考えを伝えるのではなく、子の意見を尊重してみましょう!

 
 
 大人でも思春期世代の子からとても慕われる人がいます。それはどういう人でしょう?それはまさに、思春期世代の子をリスペクトして、彼らの声に耳を傾け「一人の尊い人格」として彼らを尊び、向き合う人です。
 



(2) 真剣に愛する

  ①ダメなものはダメときちんと言うことが必要です。
   
   思春期だからと言って、当たらず触らず・・・では無関心だとも思われます。
 
   少々面倒でも、きちんと向き合ってあげましょう。
   ただし、感情的にやり合わなことが良いです。上から目線にならないよう。
 
   大人と対話をするように、「問いかけ」を用いて話すとGoodです!
   「あなたが先ほどやったあのことは、良いことだと思ってしたの?」
   「それをされた方はどう思うだろうね?あなただったらどう感じる?」
  
 などと、結論を急がずに自分で考えさせることが、リスペクトしつつも指導する良い道です。
 

  ②スキンシップで愛を伝える
 
   触れられるのをイヤがっているなら、無理にさわらず・・

   しかし、関心を持つこと!上手に触れること!肩をポンッでもいい。
 
   10代後半までスキンシップは必要です。
 

(3) 「理解」と「セルフイメージ健全化」

   子どもたちは理解されたいのです。
   
   自分の好みの音楽、好きな漫画、本、抱えているプレッシャーなど。
   親の一方的な断罪など一番聞きたくないのです。
 
   彼らには彼らの言い分、彼らなりの考えがあるので、まずはよく理解しましょう。

    
   「セルフイメージを健全にしていく助け」を!
 
   これは簡単に言うと、自分を肯定的にしっかり受け入れるお手伝いをするということです。
   自分は生きている価値がないといった極端な発想も、この時期には生まれやすいのです。
   ちょっと否定されたり、バカにされてもとても傷つきます。
 
   ですから、普段からその子が自分を肯定できるように伝えてあげましょう。
   その子の良いところ、すばらしいところをどんどん見つけて伝えてあげるのです。
   
   そして、それだけでなく、何かができなくても、うまくできなくても
   あなたは神様に造られたすばらしい尊い存在なのだということを伝えてあげましょう。
  
 
 ※他の「子育て」についての記事はコチラ


2019/05/13

神のあわれみのゆえ


神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、食べたり飲んだりした。(出エジ24:11 

 神が民と契約を結ばれる時、モーセは動物のいけにえをささげました。この時、モーセだけでなくアロンはその子ら、また長老70人が一緒に山に登り、神の御前に出ました。驚くべきことは、ここにあるように神を見たにも関わらず、彼らは滅ぼされることなく、神ご自身を見ながら食事をしたのです。これは旧約においては異例中の異例であり、本来罪ある人間は誰であっても聖なる神を見ることは不可能でした。それにも関わらず、彼らが滅びずに済んだのは、神が「手を下されなかった」ゆえです。ひたすらに主の恵みとあわれみとによったのです。しかし、この時は特殊な一時的なものでした。けれども、これはキリストによる新しい契約の雛型です。キリストの血による新しい契約は、すべての信じる者が神と親しく語らい、ともに食事をするほどに親密な交わりに招かれるのです。いつでも、誰でも、キリストを通してならば、この特別な交わりを豊かに持てるのです。キリストの十字架の恵みは、数多くの動物の犠牲ではどうにも完成できなかった救いをただの一度で成し遂げられたのです。感謝!
(2019年5月12日 週報掲載)

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