東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 3月 2021
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2021/03/31

ヨハネ19章1-16節「この人を見よ」

*** 3/31(水)受難週 祈祷会説教概略 ***

ヨハネ19章1-16節「この人を見よ」

 受難週です。
 私たちはこの週、どこに心を向けるのでしょうか。
 年度末ということでなすべきことも多いでしょう。イースター礼拝があるので、その奉仕の準備や新しい年度の様々な備えのことで心がいっぱいかも知れません。

2021/03/29

ルカの福音書22章54-62節 「イエスのまなざし」

*** 3/28(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカ22章54-62節 「イエスのまなざし」

 本日はキリスト教の暦では「棕櫚の日曜日」と言います。
 イエス様がエルサレムに入城された折に、人々が大きな棕櫚の葉を用いて歓迎したことに由来します。ただ、それから数日後、同じ週の金曜日にイエス様は十字架にかけられます。
今週の金曜日が暦の上ではその受難日、イエス様が十字架で苦しまれ息を引き取られた日になります。

2021/03/26

受難週とイースター礼拝

キリスト教の暦において・・・

今度の日曜日は棕櫚の日曜日、そして受難週の始まりです。

2021/03/24

2021/03/22

イザヤ書43章5-13節 「神が選んだ証し人」

*** 3/21(日)主日礼拝 説教概略 ***

イザヤ書43章5-13節「神が選んだ証し人」

 今日は、台湾からの留学生が証しをしてくださいました。日本に思いをもってこうして導かれて来てくださった。挫折を味わったり、道が閉ざされたりする経験。でも、その挫折や閉ざされる経験が、実は神様の備えておられるより良い道への備えだったと教えられました。神様が選び、この交わりへと遣わしてくださったのだと改めて励まされました。

2021/03/17

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

 *** 3/17(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

本日よりテサロニケ人への手紙から語られて参りたいと思います。

テサロニケ宣教

 
 まず、テサロニケというのは、ギリシア北部の港町です。現代のカタカナ表記では「テッサロニキ」というのが一般的なようです。下記の地図を参照ください。

 パウロの第二回目の伝道旅行の時に、ギリシア南部にあるアテネやコリントに行く前にこのテサロニケで伝道をし、そこで生まれ来た教会がありました。この手紙は、パウロたちがコリントに移動してから、テサロニケで新しく救われたクリスチャンたち(教会)に宛てて書かれた手紙です。

2021/03/16

ルカの福音書5章8節「こんな私でさえも」

 *** 3/16(火)ほっとカフェ 講演 ***

ルカの福音書58節「こんな私でさえも」

2020年度、最後のカフェになります。
今年度はコロナウイルスに振り回された一年で、計画していた楽しい企画もほとんどできませんでした。そんなこともあり、少し前に教会のHPに記事を書きました。

2021/03/15

ルカ22章35-46節 「暗闇の時、光の時」

 *** 3/14(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカ22章35-46節「暗闇の時、光の時」

 踊る大走査線というドラマ、映画がありました。刑事・警察を舞台とした話です。主人公が、正しいことをなすべき組織に属しているのに、その中では「正しいことができない」と嘆くのが印象的です。権力争いや保身のための圧力、不正の隠ぺいなどが横行し、正しいことが思うようにできないのです。そして主人公に対して先輩の刑事が言います。「正しいことをしたいのなら、偉くなれ」と。裏を返せば、偉くなければ、権力がなければ正しいことが出来ない世界であることを示しています。

これが罪に満ちた世界、暗闇の時代です。

2021/03/13

東日本大震災から10年

東日本大震災3.11 から10年が経過しました。

あの時の揺れの激しさ、あの時の津波の映像は忘れることができません。


2021/03/10

使徒18章1-11節「恐れないで踏み出す信仰」

*** 3/10(水)祈祷会 説教概略 ***

使徒18章1-11節「恐れないで踏み出す信仰」

 私たちは今、コロナウイルスの問題でかつて経験したことがないような状況に置かれています。いつも通りの生活ができず、教会もいつも通りの活動ができないでいます。考えてみると、教会の活動は「密になること」が基本的に多い気がします。ともに食事をし、ともに祈り、ともに賛美する・・・「密な交わり」こそ教会の核となる部分です。ですから、密を避けるというのは、結構な痛手であると改めて思わされます。

2021/03/08

レビ記25章8-12節 「ヨベルの年 ~解放と新しい人生~」

*** 3/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

 トランプのゲームに「大富豪(もしくは大貧民)」というゲームがあります。大富豪はいつも大貧民から、最も強いカードを2枚もらえるので、一度大富豪になると連続して大富豪でいられます。一方大貧民はまさにその逆でなかなか貧民を抜け出せないということがあります。ただし「革命」というルールがあって、カードの強さが逆転し、弱いカードが強くなるルールがあります。これにより一気に大逆転が起こるので面白いわけです。

 しかし、この世界の現実はそうそうこんな事はありません。大富豪はずっと大富豪で、貧しい家はそう簡単には逆転できない社会的構造があるように思います。

2021/03/05

神のことばである聖書

 神のことばである聖書

私たちにとって、聖書が「神のことば」として信頼できるものであるかどうかは、とても重要な事です。

聖書が人間の手による書物ならば、その内容は不完全で誤りも多く、信頼性に乏しいと言わざるを得ません。

しかし、もしこの聖書が「神のことば」で、完全な書であると信頼できるならば、私たちはこの聖書をすべての基準として歩んでいくことができるのではないでしょうか。

では、どのようにして聖書が「神のことば」であると言えるのでしょうか。
クリスチャンがそう思い込んでいるだけなら、根拠のない「妄信」であって怪しいですね。
しかし、実に長い歴史の中で世界中で信じられ、重んじられてきたのには理由や明確な根拠があるのです。


1. 内的証拠 聖書自身の証言
 
 まず、聖書が聖書自身のことをどのように紹介しているのでしょうか。例えば以下のようなみことばがあります。

第Ⅱテモテ3章16節
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

 神の霊感によって書かれたとは、神の霊(あるいは神の息吹)によって生み出されたという意味です。「霊的」とは非物質的なことであり、聖書の霊ということばは「息」とか「魂
」などとも訳せます。

 聖書の実際の著者は、時代や身分の異なる約40人もの人々によって記されています。
 しかし、矛盾なく一貫性があり、人を絶望から救う非常に有益な書です。

 その理由として、聖書は神の霊的働きかけによって誕生した書物なのだと言うのです。

 神様は聖書記者たちをロボットのように機械的に操って記させたのではありません。
 その人の人格や文体のクセまでも自由に生かしながら、それでいて間違いなく記させたということです。 以下の聖書のみことばも同様で、聖書の預言のことばの一切が人間由来ではなく、神の聖霊に導かれた者たちが著したことを記しています。

第Ⅱペテロ1章21節
預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。
  

私たちは聖書の霊感については「言語十全有機霊感説」を支持しています。

・「言語霊感」とは、神が著者を聖霊で満たし、その一言一句に至る言葉のすべてを正しく導かれたということです。
・「十全霊感」とは、部分的にではなく聖書全体が霊感されているという主張です。
・「有機霊感」とは、神が機械的に人を操ったのではなく、その人の個性を有機的に用いながら、みこころを正しく記させたということです。



2. 外的証拠 聖書外の根拠
 

聖書が神の霊感によって書かれた「神のことば」であることを裏付ける外部証拠にはいくつものことがあります。


(1)聖書に関する驚くべき事実・・・


 4つの聖書の「最も」 

① 聖書は最も多くの人に読まれている書物

聖書の発行部数はハンパじゃありません!
圧倒的にギネス記録を更新中です!ダントツ過ぎて対抗馬はありません。
ハリーポッターシリーズ全巻を合わせた発行部数よりも、ワンピースを全巻合わせた発行部数よりもはるかにずっと多くケタが違います。

人類史上の最大のベストセラー、過去数千年にわたって読み継がれてきた世界的なベストセラーは聖書である。1815 - 1998年の間だけで推定約3880億冊発行されている。2000年の1年間だけでも世界中の聖書協会によって約63300万冊が発行された(国際聖書協会の発表)

印刷機がはじめて発明されたとき、最初に印刷されたのが聖書です。
日本でも隠れたベストセラーとして新聞で紹介。(日本では年300万部ほど)


② 聖書は最も多くの言語に翻訳されている書物

 聖書は3400以上の言語に翻訳されています(分冊等も含む)。
 私たちは100の言語さえ挙げることができるでしょうか? 
 それだけ世界中で読まれている書物だと言えます。
 現在も多くの言語への翻訳作業が継続して進められています。


③ 聖書は最も多くの迫害を受けてきた書物

 聖書はまた、最も多くの迫害を受けてきた書物です。影響力があるからこそ、迫害する者・反発する者も多いのです。ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、聖書を残らず燃やすよう命令を出しました。彼はすべての聖書を燃やしたことを確信し、記念碑やメダルを作ったそうです。しかし、それでもなお聖書は生き残っていました。
 この事実こそ、人には滅ぼせない「奇跡の書」であるあかしです。

 ドイツの歴史学者ウェルネス・ケラーは、聖書の記述が歴史的に正しくないと批判し、徹底的に調べ研究しました。その結果彼が気づいたことは、調べれば調べるほどに聖書が歴史的にも正しく価値ある書物だということです。
 それで彼は「やっぱり聖書は正しかった」というタイトルの本を発表したほどです。日本語にも訳され「歴史としての聖書」という題で発行されました。


④ 聖書は最も多くの影響を与えてきた書物

 世界の科学、文学、美術、音楽、思想、道徳、法律・・・。
 ありとあらゆる分野に聖書の存在があることは、日本でさえはっきりとわかります。

 絵画を勉強すれば、必ず聖書を題材にした絵に出会います。西洋絵画はキリスト教抜きには決して語れないでしょう。音楽も同様です。クラシックはキリスト教と共に発展してきたと言えるでしょう。建築も同様です。教会、聖堂建築は世界の観光名所となっています。

   ミレー「落穂ひろい」

ブリューゲル「バベルの塔」

         ゴシック建築


 その他にも男女平等の思想、子どもの人権、映画、小説、漫画の題材、モチーフ。
 クリスマス、イースターといった祝祭
 コミュニティは、教会の「交わり(コミュニオン)」から
 多くの格言、ことわざ



(2)聖書の統一性

 聖書はどれぐらいの年月をかけて書かれたのでしょうか。

 15001600年間です。

 しかも、約40人もの人々によって書かれました。

 日本で考えても、大和、奈良時代の人々から書き始め、現代に至るまで、総勢40人が書いたとしても、一貫性があるとは思えません。

 しかし、聖書は驚くほどの統一性、一貫性があるのです。

 この40人は、時代も、地域も、職業も、身分も違う人々です。ある人は王様、ある人は学者、そして医者、漁師、税金取り、羊飼いまでいます。それだけ身分も時代も、地域も違った人々によって書かれているのに、イエス・キリストによる救いというテーマが矛盾なく貫かれているのは、驚くべきことです。聖書が神のことばである証拠の一つと言えます。

 

(3)聖書の預言の成就

 旧約聖書には、数多くの未来に関する預言があります。その中心的なものは、イエス・キリストについての預言です。キリストが生まれる数百年も前から、その預言がなされましたが、歴史的にもことごとく成就していることがわかります。

・キリストに関する預言・・・イザヤ714、イザヤ53章全体、ミカ52、ゼカリヤ99など。 
  

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2021/03/03

Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」

*** 3/3(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」

 いよいよ第二サムエル記も最後の24章となりました。
 ここに罪に対する神様の聖なるさばき(罰)と、悔い改めへの赦しと回復、さらにはその先に新しい恵みがあるという希望があります。

2021/03/01

ルカの福音書22章35-46節 「みこころがなるように」

*** 2/28(日)主日礼拝 説教概略  ***

ルカ2235-46節 「みこころがなるように」

 皆さんにお尋ねします。皆さんが考える「お祈り」とは何でしょうか。
 ある人は「神様にお願いすること」だと思っているかも知れません。それも一部と言えます。クリスチャンに与えられた特権であり、他の方のために祈る責任もありますね。

 それでもなお「祈り」の本質について考える時、その本質は「神様と親しく過ごすこと」であろうと思います。神様と個人的に出会い親しく語り合う時間」です。

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