東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2020年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/11/24

創世記45章4-8節「神のご計画に生きる~ヨセフ物語より~」 

 *** 11/24(火)心のケアと人間関係シリーズ ***

 私たちの人生は、自分の計画通りに行かないことばかりです。その時に、思い通りに行かないということでイライラしたり、ストレスを感じて生きるならば、おそらくいつも不幸で満たされない日々になってしまいます。しかしながら、思い通りに行かない環境、妨げられる状況さえも、神様のご計画の中にあることを知って、神様のご計画の中に歩んで行けるならば世界は違った見え方をします。

 今日はヨセフという人物の歩みを通して、神のご計画に中に生きることを教えられて参りたいと思います。

2020/11/23

ルカ21章29-38節 「目を覚まして祈り備えよう」

*** 11/22(日)主日礼拝 説教概略  ***

 茶道をテーマにした映画で「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という作品を鑑賞したことがあります。樹木希林さんがお茶の先生を演じていらっしゃいました。その中で主人公の女の子のお父さんがある時、突然亡くなってしまいます。それは主人公が一人暮らしをするようになり、忙しい日々を過ごしていた時のことでした。

2020/11/19

Ⅱサムエル記16章5-14節「背後に主の御思いを見る」

*** 11/18(水)祈祷会 説教概略 ***

 ダビデの人生は波乱万丈です。特に姦淫の罪や殺人の罪を犯して後、しばらくは苦しい時期が続きました。息子たちの問題においても彼は決して良い父親として対応できませんでしたし、そのことで非常に苦しみました。

 しかし、その後のダビデの信仰者としての歩みを見ると、本当に教えられることが多く、彼の信仰は私たちにとって良い模範、良いモデルであり、励まされるものであります。

 それは、ダビデが心から罪を悔い改めて主に立ち返ったこと、そして身内に関係する深い痛みを通らされたことによって、神様によって深く取り扱われ大胆さや率直さだけでなく主の御前における謙遜を身に付けたゆえです。

2020/11/16

レビ記19章26-37節 「聖であるとは?PartⅢ」

*** 11/15(日)礼拝 説教概略 ***

レビ記1926-37節 「聖であるとは?PartⅢ」

 聖書は「救いは行いによるのではない」(エペソ2:8-9)とはっきりと語っています。一方で「行いのない信仰は死んでいるも同然である」とも語られています(ヤコブ2:17)。それで少し混乱される方がいらっしゃるかなと思うのです。しかし、こう整理することができます。

2020/11/11

Ⅱサムエル記15章32節-16章4節「主の山に備えあり」

*** 11/11(水)祈祷会 説教概略 *** 

 聖書の有名な格言として「主の山に備えあり(ヘブル語:アドナイ・イルエ)」というものがあります。

2020/11/09

ルカの福音書21章5-19節 「終わりの時への備え」

*** 11/8(日)主日礼拝 説教概略 ***

 大学生の時アメリカに3週間ほど行きました。その時にある宣教師がホワイトボードに端から端まで線を引きました。そして「これが神の永遠を表すとしたら、私たちの人生はどう表せる?」と。彼はごく小さな点を打ちました。100年生きられても永遠の中ではこの小さな見えないような点に過ぎないと彼は言いました。

2020/11/04

Ⅱサムエル記15章24-37節「主にゆだね、ゆっくりと待つ」

*** 11/4(水) 祈祷会説教概略 ***
 私たちは思わぬトラブルに遭遇すると、状況を改善しようと慌ててしまいかえって混乱してしまうということがあるのではないでしょうか。しかし、本来はそのような時こそ信仰を働かせ、落ち着いて祈り、主の助けを待てたらいいですよね。

 追い込まれている時ほど落ち着くこと自体難しいわけですが、そこに主がおられると覚える時、私たちは「ゆだねて焦らず待つ」という選択肢を見ることができます。神様を信じていない場合、この選択肢自体が存在しないわけですが、信じる者には一つ多く選択肢が与えられているわけです。せっかくある選択肢を用いないのはもったいないですよね。
 みことばに心を開いて「主にゆだね、ゆっくり待つ」というテーマで教えられて参りましょう。

2020/11/02

レビ記19章9-18節 「聖であるとは?PartⅡ」

*** 11/1(日)主日礼拝 説教概略 ***

レビ記19章9-18節 「聖であるとは?PartⅡ」

 有名な絵画でミレーの描いた「落穂拾い」という作品があります。美術の教科書に載っていたので、子どもの頃から知ってはいる絵画でした。しかし、その意味はよくわからず、落ち着いた少し暗い絵だなと思っていました。

 ところがクリスチャンになり、その意味を知った時に、そこにフォーカスしたミレーという人は一体どんな思いで描いたのだろうかと思うようになりました。まさに今日のみことばはミレーの「落穂拾い」を理解する上で欠かせないみことばです。しかしミレーの「落穂拾い」の絵と今日のテーマ「聖であること」とは、どのような関係があるのでしょうか?それは後程触れて参ります。

2020/10/28

Ⅱサムエル記15章13-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」

*** 10/28(水)祈祷会説教概略 ***

Ⅱサムエル記1513-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」

「まさかの友こそ真の友」という諺があります。
 これは元々は英語の諺A friend in need is a friend indeedを日本語に訳したもので、「本当に必要な困難な時に、友でいてくれる人こそ真の友なのだ」という意味です。

 これはとても苦しい状況を通った人は「確かにそうだな~」と実感されると思います。あの苦しい時に、多くを失って何もできない時に、寄り添い助けてくれる人がいた。自分のことで精一杯で、「あなたはわかってくれない」などとつい言ってしまったけれど、それでも離れずに友であり続けてくれた。そんな人の存在がどれほどありがたいことでしょうか。


2020/10/26

ルカ20章45-21章4節 「見える栄、見えない栄」

*** 10/25(日) 礼拝説教概略 *** 

VRゴーグルというのをご存知でしょうか。VRはバーチャルリアリティ(仮想現実空間)の略ですね。それを装着するとまるで3Dの別世界にいるかのように体験できるというものです。最近の技術はすごいものですね。

で、私はまた変なことを思いつきまして、神様目線で見られるというVRゴーグルがあったら面白いなと。名付けてGEG(Gods Eye Gogle)です。人間の目で見るのとは全く異なる神様目線での人間の世界の景色。それを私たちが見られるとしたら。もしかしたら、美しい人が美しく見えず、見栄えのしない方がものすごく美しく見えるかも知れません。心の思いが表面化して見えるといった感じでしょうか。それで見る時に、私たち自身の姿はどう見えるのでしょうか。人の前には美しく立派に飾ることができても、神様の目に美しく飾られているかは全く別ですよね。

2020/10/21

Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」

*** 10/21(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」

 自分の思いを神とせず、神である方を神として恐れ従うこと。
ようやくダビデ王に謁見できたアブサロムでしたが、そこには期待していたような親子の心の交わりはありませんでした。一応の和解の形にはなったものの、おそらく親しく抱き合い語り合うこともできなかったのでしょう。それはアブサロムにとって、決定的にダビデとの距離を痛感させられる機会となってしまったことと思います。

2020/10/20

心のケアと人間関係「承認欲求を健全な方法で満たすには?」

 「承認欲求」

ということばを聞いたことがあるでしょうか?
 
 人から認められたい、受け入れられたいという欲求です。
 具体的な例としては、頑張っていることを認めてもらいたいとか、同世代の友人からすごいね!と言われたいとか。そして若い人たちであれば、SNSでの返事や「いいね」などの友人たちからの反応を求める欲求などです。

2020/10/19

レビ記19章1-8節「聖であるとは?PartⅠ」

 *** 10/18(日)礼拝 説教概略 ***

レビ記19章より 「聖であるとは?」

「聖さ、聖なること」。それは聖書における大切なテーマです。なぜ大切なのかと言いますと、聖書でこう語られているからです。

ヘブル人への手紙12:14です。
「聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」

 聖さがなければ、だれも主を見ることができませんと言われています。

 なぜ、聖さがなければ主を見ることができないのでしょうか。

2020/10/14

Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」

*** 10/14(水)祈祷会説教概略 *** 

Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」

 人間関係において「存在をないもののように扱われる」、つまり無視されることほど苦しいことはありません。特に大切な方から無視をされることは本当にさみしく辛いことです。

2020/10/12

ルカの福音書20章41-44節「われらの主キリスト」

 *** 10/11(日)礼拝説教概略 ***

 大学時代にイエス様を信じ受け入れるお祈りをした時に、教えられるままにこのように祈りました。「イエス様、私の罪のために十字架で死んでくださり感謝します。今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。私の人生を導いてください。」 
 おおむねこのようなお祈りだったと思います。

 特に重要なのは、イエス様を「罪からの救い主」つまり「キリスト」であると信じること。そして、もう一つは、私の人生を導く「主」であると告白することです。

2020/10/07

第Ⅱサムエル記14章1-24節「神からのものか、人からのものか」

 *** 10/7(水)祈祷会説教概略 ***

Ⅱサムエル記から教えられます。少しこれまでの「あらすじ」を振り返りましょう。13章でご紹介した相関図もご参照ください。 

2020/10/05

レビ記18章1-5節「神の定め、神の掟」

*** 10/4(日)礼拝説教概略 ***

 法やルールは何のためにあるのでしょうか。本来は人が安心して、安全に過ごすためにあると言えるでしょう。しかし、しばしば人が定める方は不完全で、一部の権力者にばかり都合の良い悪法となることもあります。「生類憐みの令」のようなかえって人を苦しめ不幸にしてしまうものもあります。

2020/09/30

ネヘミヤ8章1-12節 「主を喜ぶことは力」

*** 9/30(水)祈祷会 説教概略 ***

ネヘミヤ記はバビロニアに滅ぼされたエルサレムの再建、特にその城壁再建がテーマとなっています。しかし、そこにはもう一つ別のテーマがありまして信仰の建て直しというテーマもそこにはありました。

2020/09/28

ピリピ人への手紙4章10-14節 「あらゆる境遇に対処する秘訣」

*** 9/27(日) 礼拝説教概略 *** 

 平成のベストセラー本の中でも、200万部を突破する大ベストセラーとなった渡辺和子さんの著書「置かれた場所で咲きなさい」は読まれた方もいらっしゃることと思います。実はこのタイトルの元になったことばは、宣教師からいただいたフレーズだそうです。それは「神が植えられたところで咲きなさい」というものでした。
 
 花は植えられる場所を選ぶことが出来ません。そこが嫌だからと言って他の場所に移ることも出来ません。ただ、神様に与えられた場所で精いっぱいの花を咲かせるだけです。でも、それは神様がそこが良いと植えられた場所なのです。

2020/09/23

使徒の働き20章1-12節「キリスト者にある励まし」

 *** 9/23(水)祈祷会 説教概略 *** 

 教会の働きに対しては色々な形での妨げが起こります。
 悪魔は当然ながらキリスト者が心強められて、元気に活動することを喜ばないからです。

 それに対抗するには、私たちが神様のみことばに留まり、神様からのお励ましを沢山受け取って歩むことが必要不可欠です。そして、兄姉の交わりの中で互いに励まし合うことです。パウロの宣教の様子を追って行くと、未信者への伝道だけででなくて、信じた人々を励まし教えるということに力を入れていることに気づきます。

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