東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2021年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/10/25

民数記2章「神の布陣」

*** 10/24(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記2章「神の布陣」

 月に2回程度は旧約聖書から語られるということで継続していますが、本日は先週に引き続き、民数記から教えられます。なお、祈祷会ではしばらく新約聖書の手紙を学んでいましたが、そちらが終わってアモス書になりました。

 アモス書の時代は、民数記の時代よりだいぶ時間が進んでおり、なんとイスラエルが絶頂期を迎えている時代です。領土も非常に拡大し、経済的にも繁栄していた時代です。もう水に困って神様に祈るという時代を過ぎた。それだけ豊かな時代です。

 しかし、それは同時に「神様なしには今日食べる物もない!祈らなければ!」という時代も終わったということですどちらが良いのだろうかと考えさせられます

2021/10/20

アモス2章6-16節 「イスラエルに対する宣告」

*** 10/20(水)祈祷会 ***

 25節までのところでは、イスラエルの周囲の国7か国の不道徳、非人道的な罪、無慈悲に殺戮、人身売買などへの神様のさばきの宣告がありました。

 そして、いよいよ本題とも言える、北のイスラエル王国に対する宣告が語られます。その内容は、やはり神を信じない国々に対するものとは全く異なるものでした。それは、神のご契約に対する背きの問題でありました。

2021/10/18

民数記1章「荒野における神の守り」

*** 10/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記1章「荒野における神の守り」

 木曜日にワクチンの1回目を受けました。注射自体はチクっとした程度でアッサリと終わりましたが、注射を打って15分もしないうちに左肩が凝り始め、やがて首・頭痛、そして腰にも来てパンパンに張ってしまいました。

 左腕にごく小さな異変が起きただけですが、体全体がそこを守り庇うかのように一緒に痛みを共有する。そんなことが私の体に起こったようでした。まさに先週のメッセージのように、キリストのからだに属する各器官は、一部が痛めば、そこをかばい合うように全体も一緒に痛む。身をもってそれを体験したところです。ただ、妻は腕だけが極端に痛くて、体の他の部分には何ら影響ないと言っていましたから、妻のからだは一体性がなくバラバラだねと言っておりました。(※筋肉がある人の方が影響を受けやすい?との声もあるようです。)

 冗談はさておき、私たちクリスチャンの信仰の歩みは、決して「一人ぼっち」のものではないのです。お互いを必要とし、お互いに支え合う交わりを持って歩むのが、キリスト者の信仰生活です。ですから、自分が倒れたらおしまいなんかじゃありません。あなたが倒れたのならば、起こしてくれる人がいる。あなたを支えともに歩む仲間が必ずいる

神様はそのような支え合う共同体を築きなさいと言っておられるのです。

2021/10/14

アモス書1章3節~2章5節「諸外国へのさばきの宣告」

*** 10/13(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス書1章3節~2章5節「諸外国へのさばきの宣告」

 アモス書は、テコアの羊飼いだったアモスを通して、絶頂期で神をも忘れ、欲のままに歩んでいたイスラエルに対して主の愛の警告がなされている書です。その本論は、諸外国への神のさばきの宣告から始まっています。まるで外堀を埋めるように、そして、どの国のことも細部に至るまで神様が良くご存知であることを知らせるように。

 ですから13節~2章の3節までは、イスラエル王国から見れば実は外国のお話(そこには南のユダも含まれていますが・・・)。イスラエルの周辺にある諸外国の問題についても神様がしっかりと見ておられることが説き明かされています。

  まず、繰り返されている独特な表現について少し説明しておきたいと思います。


2021/10/12

子育て「子どもたちの進路」

*** 10/12(火)ママ’sカフェ ***

子育て講演「子どもたちの進路」


 子どもたちの進路は、その成長とともに大きな課題となってくるものです。そして、親としても大変頭を悩ませられる分野です。子どもたちの進路を考える上で、どのような考え方をしたら良いのでしょうか。その土台となることをともに学びたいと思います。

箴言19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。

2021/10/11

Ⅰコリント11章23-29節「聖餐とは」

*** 10/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

Ⅰコリント1123-29節「聖餐とは」


 先週は「洗礼」について教えられましたが、本日は「聖餐」についてともに教えられて参ります。聖餐式は、私たちの教会では月に1度ということで、定期的に持っています。ただ、聖書に回数の決まりは実はありません。ですので、中には毎週聖餐式を行っている教会もあります。また一方で、何か月かに一度という教会もあるのではないかと思います。

さて、聖餐式と言えばパンとぶどうジュースの杯。子どもたちにとっては、あこがれの物だったかも知れませんね。大人たちが何やら真剣に、大いに感謝してパンを食べ、杯を飲んでいる。その様子が子どもたちにはとても美味しそうに見える・・・

2021/10/06

アモス書1章1-2節「アモス書を知る」

*** 10/6(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス書1章1-2節「アモス書を知る」


1. 著者

 
 テコアの牧者(羊飼い)アモス。
 テコアはエルサレムの20キロほど南に位置する小さな町。
(下の地図、四角で囲まれたところ)

 

2021/10/04

使徒2章38-41節「洗礼とは」

 *** 10/3(日)主日礼拝 説教概略 ***

使徒2章38-41節「洗礼とは」


 今日ご一緒に教えられる「洗礼式」、それは結婚生活に例えるなら、結婚式にあたるでしょうか。イエス様とこれから一緒に歩んで行きます!との信仰決心を、多くの証人の前で公に示すのが洗礼式です。

 そして、「聖餐式」は結婚生活で言えば結婚記念日にあたるでしょうか。イエス様と結び合わされた恵みを定期的に覚えて感謝し、気持ちを新たにします

 ただ、結婚式をし、結婚記念日を祝ってさえいれば夫婦仲が良いのかと問われるならば、必ずしもそうではありませんね。心が通じ合っていない場合もあります。

2021/09/29

Ⅱテサロニケ3章14-18節「主との交わりにある平安へ」

 *** 9/29(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱテサロニケ3章14-18節「主との交わりにある平安へ」

 いよいよ2つのテサロニケ人への手紙の終わりとなりました。続けて学んできますと、少しばかり離れがたい気持ちにもなるのは不思議です。

 さて、今日のみことばでは、手紙に記された「主のみこころ(主のみおしえ)」を大事にすること、主とともにある平安を持つことについて語られています。
 どんな時にも平和な心で、平安をいただいて歩みたいと私たちは思います。
 聖書にはその道が明確に語られているのです。結局、最後は、主とともにあることこそ、平安を与えられる道です。ご一緒に教えられましょう。

2021/09/27

ルカの福音書24章1-12節「今も生きておられる主」

*** 9/26(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書24章1-12節「今も生きておられる主」

 新約聖書が書かれた時代、男尊女卑の考え方がまだ非常に強かった時代です。
 けれども、イエス様はかなり大胆な価値観を示されました。イエス様は女性たちを尊び、彼女たちの弱さに寄り添い、同時に彼女たちの賜物を生かされました。イエス様の十字架の死と復活については、実に使徒たち以上に、女性たちがイエス様の身近で仕え、一番の目撃者となっていたことがわかります。

2021/09/23

Ⅱテサロニケ3章6-13節「たゆまず良い働きを」

 *** 9/22(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱテサロニケ36-13節「たゆまず良い働きを」

 私たちは弱いもので、大変な方向に自ら向かうことはよほどの覚悟が必要ですが、楽な方向には誰にも言われなくても、自然と足が向いてしまいます。聖書を通して怠惰の問題についても語られ、与えられていることに忠実に向き合うことを励ましていただけることは、実は幸いなことだと思います。弱いからこそ、しっかりやりなさいとのことばが助けになるという一面も尊重されるべきではないでしょうか。

2021/09/21

詩篇71篇 「神の義の現われとしての救い」

 *** 9/19(日)主日礼拝 説教概略 ***

詩篇71篇 「神の義の現われとしての救い」

立川福音自由教会牧師 高橋秀典師

 「心が傷つく」とは自分が無価値な者と見られること、つまり「恥」の意識から生まれます。ただ、ときにそれはキリストにあるアイデンティティーが確立していない結果と見られ、信仰の未熟さの現われとして「傷ついてしまう」と評価されることがあります。しかし、それこそ人の感性に対する暴力かもしれません。

 少なくともダビデは誰よりも傷つきやすい心を持っていたことが彼の詩篇から読み取ることができます。そしてイエス・キリストはダビデの詩篇を愛読していました。それは人となられたキリストご自身も繊細な傷つきやすい心を持っていたからとも言えるかもしれません。

2021/09/15

Ⅱテサロニケ3章1-5節「主のことばが広まるように」

*** 9/15(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱテサロニケ31-5節「主のことばが広まるように」

パウロは最後に、テサロニケの兄姉に対して祈りの要請をしました。私たちのためにも祈ってくださいという要請です。パウロたちは、たとえ会えないとしても「祈りの交わり」を通して、お互いにつながっていることを知っていました。

2021/09/14

子育て「将来に希望を!」

*** 9/14 ママ’sカフェ *** 

子育て講演「将来に希望を!」


 ごく小さい子どもたちはあまり考えることもありませんが、子どもたちが小中高と成長していく中で、徐々に将来のことが親の心配の種になって参ります。
 
 子どもたち自身、思春期に漠然と抱く不安の一つは将来に対するものでしょう。
 

2021/09/13

コロサイ1章13-23節 「救い~神のふところへ~」

*** 9/12(日)主日礼拝 説教概略 ***

 コロサイ113-23節 「救い~神のふところへ~」


 ある信徒とお話していたおり、「私は何をやってもあまり長続きしないのですが、考えてみればキリスト信仰だけはずっと続けられている。神様の恵みですね。」とおっしゃられ、とても励まされました。この方は謙遜で言われたのだと思いますが、私自身を振り返ると自分こそあまり長続きしない者だと気づきます。それなのに、かれこれ30年近くイエス様を信じる道を続けられている。他にこんなに長く続いたものはないと思わされ、救いの恵みがいかに力がありすばらしいものかと改めて思わされます。

2021/09/08

Ⅱテサロニケ2章13-17節「初穂として召された者」

*** 9/8(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ2章13-17節「初穂として召された者」
 
前節までのところでは、不法の者とそれに対する神様の聖なるさばきについて語られていました。終わりの時には、キリストに反対し、自らをすべての神々にまさる神だと宣言するような不法の者が現れる。しかし、再臨のキリストによる神の聖なるさばきがあり、必ずキリストが勝利されるということでした。

それでもなお、先週申し上げたのですが、神様が望んでいることはさばきではなく、一人でも多くの人の救いなのです。

2021/09/06

ヨシュア記3章7-17節「主の臨在の中での前進」

*** 2021/9/6 主日礼拝説教概略 ***
ヨシュア記3章7-17節「主の臨在の中での前進」

私は負けず嫌いの性格のせいでしょうか。コロナウイルスでこれだけ苦労させられているのですから、その分これを通して色々と学び成長しないと損だと考えます。苦しんだ分だけ神様からしっかりと恵みのリターンをいただこうじゃないか!そんな思いでいます。

ですから、コロナ前に戻るという発想ではなく、コロナという困難を経て、むしろ前進させていただきたいと願う者です。

2021/09/01

Ⅱテサロニケ2章6-12節「不法の者と神の聖なるさばき」

 *** 9/1(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱテサロニケ2章6-12節「不法の者と神の聖なるさばき」

 本日開いているみことばでは、「不法の者」ということばがキーワードになっています。「不法の者」について、ここから分かることを教えられたいと思います。

2021/08/30

ルカの福音書23章50-56節「勇気を出して」

*** 8/29(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書2350-56「勇気を出して」

 「勇気を出して」とのタイトルをつけましたが、勇気とは何だろうかと頭を悩ませる昨今ですね。それは決して感染のリスクを顧みずに無謀な行動を取ることではないでしょう。ただ一方で、恐れているばかりでは何もできないという事も確かです。決して無謀にではなく、「賢さを伴う勇気」をもって歩みたいと願います。
 
 本日のみことばでは、それほどメジャーではない人物のことが語られています。聖書の中の好きな人物ランキングというものを行ったとしても、きっとベスト10に入らないでしょう。いや20にも入らないであろう人物でしょう。

2021/08/26

Ⅱテサロニケ2章1-5節「心を主に治めていただく」

*** 8/25(水)祈祷会説教概略 *** 

 この手紙の2章から、いよいよ本論に入ると言っていいでしょう。テサロニケの教会では、惑わす情報があれこれあったようです。特に、キリストの再臨についての偽りの情報が流れ、既にそれらに惑わされる人々が出て来ていました。

 私たちの時代は、当時よりもさらに偽りの情報、惑わしの情報であふれている時代と言えるでしょう。特にコロナウイルスの事について言えば、何が正しいのかはまだまだ分からないと言ったところです。しかし、このような時こそ落ち着いて冷静に判断して歩みたいものです。イエス様も弟子たちに対して、「蛇のように賢く、鳩のように素直」であるようにと教えられました。素直という部分は、多くのクリスチャンに当てはまるような気もしますが、案外蛇のように賢く、聡くという部分は弱いかも知れません。

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