東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2022年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2022/11/01

コロサイ4章2-6節「塩味の効いた親切なことば」

 *** 10/30(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ42-6節「塩味の効いた親切なことば」

 ポーランドという国のことわざに、「大切なのはことばの数ではなく、その重みだ」というものがあるそうです。聖書の中でも、伝道者の書には「ことばが多ければ愚かな者の声となる。」とあります。ことばは数ではなく、質・中身なのだと改めて気づかされます。

2022/10/28

Ⅱ列王記 18章、Ⅱ歴代誌29~32章「励ましの人・ヒゼキヤ王」

*** 10/26(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱ列王記 18章、Ⅱ歴代誌29~32章「励ましの人・ヒゼキヤ王」

聖書人物シリーズ。本日はユダの王となったヒゼキヤについてです。3節から彼の生涯についてのまとめがしばらく続きます。3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。 ひどい王も多くあった中、このように語られていることは素晴らしいことです。

2022/10/26

民数記27章1-11節「熱意ある求め」

 *** 10/23(日) 主日礼拝 説教概略 ***

民数記27章1-11節「熱意ある求め」

 「三顧の礼」ということばがあります。三国志の故事成語です。劉備玄徳という国主が、天下泰平のために軍師として諸葛亮孔明を迎えたいと思い3度もお願いに行ったのです。諸葛亮孔明は、その本気度を見るために3度の礼を見守っていたのではないでしょうか(なお、三顧の礼は、必ずしも3回ではなく何度もという意図があります)。

2022/10/19

マタイ9章35-38節「働き手のために祈る」

*** 10/19(水)祈祷会 説教概略 ***
マタイ9章35-38節「働き手のために祈る」

 最近つくづく思わされていることがあります。この新会堂、子どもからお年寄りまでが主の前に安心して集えるようにとのビジョンの中で建てられました。ただ、人に安らぎを与えるのは建物ではないということです。

2022/10/18

コロサイ3章18-25節「主に仕えるようにして」

*** 10/16(日)主日礼拝 説教概略 ***
コロサイ3章18-25節「主に仕えるようにして」

 ほっとカフェにて、心のケアと人間関係というシリーズを年34回程度お話をさせていただいています。なぜ、このテーマかと言うと、私たちの悩みのほとんどが人間関係であるからです。

 皆さんの中で、人間関係で悩んだことがないという方いらっしゃいますか?

2022/10/12

マルコ6章30-33節「主と弟子たちの時間」

 *** 10/12(水)祈祷会説教 概略 ***

マルコ6章30-33節「主と弟子たちの時間」

 主の良い働きゆえに、働き続けて疲れ果ててしまうことがあるのは残念です。それは、主のもとに帰り、その働きの報告をもって重荷を降ろし、主と弟子たちだけで時を過ごすことによって、回避できるものです。

2022/10/11

子育て「主の山に備えあり」~未来への不安に勝利する~

 *** 10/11(火)ママ’sカフェ 講演概略 ***

「主の山に備えあり」~未来への不安に勝利する~


1. 私たちを取り巻く「不安」

子育てをする上で、多くの人が不安を覚えています。現代の日本を取り巻くものとして大きなものは、経済的な不安でしょう。また、学びについていけるだろうか。友達と仲良くなれるだろうか。どんな仕事ならできるだろうか。就職できるだろうか。

そうした様々な不安材料があることでしょう。

2022/10/10

民数記26章「荒野の40年を経て」

*** 10/9(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記26章「荒野の40年を経て」

 2015年の国連で「SDGs」というものが採択されました。これは「持続可能な開発目標」と訳されます。具体的には2030年までの15年をかけて、「持続可能な世界」の実現を目指すものです。そのために世界規模で取り組んで行こうとするもの

 目の前のこと、短期的なことばかりに終始する時代です。こうして継続して取り組むことは、今の時代に最も必要なことかも知れませんね。

 しかし、これは、教会にこそ必要なことかも知れません。

2022/10/05

第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」

*** 10/5(水)祈祷会 説教概略 ***

第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」

聖書人物シリーズ。本日は少しマイナーな預言者ミカヤに目を留めつつ、みことばから語られて参りたいと思います。先週のナアマン将軍の話より、若干時を遡ります。ナアマン将軍所属のアラム軍がイスラエルを打ち破った時の話です。

2022/10/03

コロサイ3章5-17節「古きを脱ぎ、新しきを着る」

*** 10/2(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ35-17節「古きを脱ぎ、新しきを着る」

 デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」のモデルは、セルカークという実在の人物でした。実際の彼は大酒飲みの荒くれ者でした。彼に対して我慢の限界に達した水夫たちが、彼を無人島に置き去りにしたというのが実話です。

2022/09/29

第Ⅱ列王記5章「ナアマンの救いに関わった人々」

*** 9/28(水)祈祷会 説教概略 ***

第二列王記5章 「ナアマンの救いに関わった人々」 

 アラムの王の軍団長・将軍にナアマンという人物がいました。
 1節によると、彼は主君に重んじられ、尊敬されていた人物でした。その続きに彼が主君から重んじられ、尊敬されていた理由が語られています。

2022/09/27

子育て「考える力を養う」

 *** 9/13(火) ママ’sカフェ講演 *** 

子育て「考える力を養う」

 以前、3A組というドラマがありました。ネットによるいじめの問題を扱っていました。よく調べもせずに、他人に同調して、ある高校生を匿名の人々がみんなで非難し、その子が自殺に追い込まれてしまったというのです。

2022/09/22

Ⅰ列王記 17~19章「霊肉ともに、主によって養われたエリヤ」

*** 9/21(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅰ列王記 1719章「霊肉ともに、主によって養われたエリヤ」

本日は預言者エリヤに目を留めつつ、そこに与えられた「神様の養い」に目を留め、励まされて参りたいと思います。預言者エリヤは、ギルアデという地に住むティシュベ人であり、イスラエルがとても堕落している時代に預言者として遣わされた人でした。

その堕落の元凶はイスラエルの王アハブと妻イゼベルにありました。彼らはバアルの神々を拝む偶像礼拝者となり、それどころか、主に仕える預言者たちを次々と殺していたほど凶悪でした。

そして、主はこの民に自分たちの過ちを示し、またご自身を現すために、「数年間、露も降りず、雨も降らない」という困難をお与えになります(17章1節

2022/09/21

民数記25章1-13節「ねたむほどの愛」

 *** 9/18(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記251-13節「ねたむほどの愛」


 しばしば、親がとても厳しくて結婚をしようにも、結婚相手をなかなか紹介しにくいといったケースがあります。お父さんは娘の、お母さんは息子の結婚相手は、特に気になる傾向があるかも知れませんね。私もそういうところがある・・・かも知れません。

 ただ、それはなぜなのでしょうか?

2022/09/14

Ⅰサム26章、Ⅱサム12章、詩篇32、55篇「主を求め続けたダビデ」

*** 9/14(水) 祈祷会 説教概略 ***

Ⅰサム記26章、Ⅱサム12章、詩篇3255篇「主を求め続けたダビデ」

 ダビデほど波乱万丈の生涯を送った人物はそう多くはないでしょう。聖書においてもダビデについての記事は、彼が生み出した詩篇なども含めればかなりの分量になります。単純にダビデという名前で検索をかけると、旧新約聖書両方で900回以上ヒットするほどです。

 ですから、この1回でダビデの生涯や人物像の全体をお伝えすることはもちろん不可能です。それを前提とした上で、特にダビデの歩みにおいて大切で、中核をなすテーマについて教えられて参ります。それは何かと言いますと・・・

2022/09/13

コロサイ3章1-4節「上にあるものを求めよう」

 *** 9/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ3章1-4節「上にあるものを求めよう」


 教会には色々な方が来られます。悩みのご相談に来られる方、教会堂を見学される方、牧師と話をしたいと相談に来られる方。礼拝堂でお祈りされる方もいらっしゃいます。喧騒を離れ、心を落ち着かせたい、導きが欲しいと祈られます。

 実にあらゆる世代の方が、様々な必要を覚えて来られます。
 また、昨日は、教会開放日がありました。小学生たち、中高生たちが集まり、大学生や大人の皆さんが一緒に遊んだり、語り合ったり、そして神様に心を向ける時を共有しました。

2022/09/10

Ⅰサムエル記14~20章「神にも人にも愛されたヨナタン」

 *** 9/7(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰサムエル記14~20章「神にも人にも愛されたヨナタン」

ヨナタンは聖書人物の中でも割と人気がある人物ではないでしょうか。英語読みでは「ジョナサン」で、人名にもよく使われますし、ファミリーレストランでも「ジョナサン」というお店がありますよね。そのヨナタンの性格、その信仰のあり方は「純粋でまっすぐ」と言ったら良いでしょうか。それゆえに、人々からも愛された信仰者です。

2022/09/07

民数記22-24章「呪いを祝福に変える神」 朗読:申命記23章4-5節

*** 9/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

申命記23章4-5節、民数記22-24章「呪いを祝福に変える神」 


 本日の聖書箇所は大変長いところですので、礼拝前に読んでいただくようお願いしました。そして、朗読は結論がまとめられた申命記234-5のみを読んでいただきました。そこでは、イスラエルを呪うためにモアブ王に雇われたバラムという占い師が登場していましたが、神様はバラムの声を聞かず、呪いを祝福に変えられたと語られています。

 神様は悪意や呪いさえもご自身の民のために、祝福に変えることができるということです。そして、その理由は、申命記23:5節にありました。「あなたの神、主はあなたを愛しておられたからである」。神様は、試練を通して愛する者を育てることはされますが、「呪い」が及ぶようなことはさせないということです。

2022/09/02

Ⅰサムエル記13-15章「人間の王サウル」

*** 8/31(水)祈祷会 説教概略***

 Ⅰサムエル記13-15章「人間の王サウル」

聖書人物シリーズ、今日はイスラエル最初の王サウルについてです。サウル王は容姿端麗でしたが、出身部族はベニヤミン族で、イスラエル部族の中では一番末子の部族でした。神様は、一番若い部族を王にすることで、「王の謙遜」を求めたのかも知れません。

 「人間の王を立てる」という民の要請は、神様を王座から降ろすようなものでした。神様という最高の王がありながら、欠けの多い人間を王にすることから、様々な問題も生まれます。

 特に、その王の資質に左右されますよね。王には権力がありますから、みことばに従わない勝手な者であると国まるごと不幸にしてしまう・・・それは歴史が証明しています。

2022/08/30

第一ペテロ2章1-5節「霊的成長を求めて」

*** 8/28(日)主日礼拝 説教概略 ***

第一ペテロ2章1-5節「霊的成長を求めて」

 本日は、キリスト者の「霊性」についての話です。
 「霊的成長を求めて」というタイトルも、もしかしたら少し分かりにくいと感じる方もあるかも知れません。日本語ではどうしても「霊」といったことばが入ると途端によく分からなくなるという面があります。

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